奈良の寺(5) 長谷寺。

今日は南へ。10時半すぎ、近鉄奈良から長谷寺へ。
大和西大寺で近鉄橿原線に乗りかえ、大和八木で近鉄大阪線に乗りかえ、長谷寺へ。大阪線といっても、大阪とは逆方向。名張方向へ。2回の乗りかえの待ち時間を入れても、約1時間、11時半すぎ長谷寺へ着く。ただ、駅からのバスはない。
駅前には、長谷寺まで約1.5キロ、徒歩約20分、との案内がある。駅待ちのタクシーもない。が、電話で呼ぶことはできる。駅で電車を降りた人は4人いた。1人は近所の人らしい。女性の2人づれは、参道へつながる階段をサッサと下りて行った。
以前来た時には、私も歩いた。しかし、今は、この距離とても歩けない。以前でも、20分どころじゃ着かなかった記憶がある。電話をすると、10分ほどお待ちを、とのことで、タクシーが来た。
お寺へ登る階段に着き、車を下りると、鐘の音とともにブオゥーという音が聞こえる。一瞬、オッと思ったが、すぐ法螺貝の音だと解かった。正午なんだ。で、鐘と法螺貝の音なんだ。さすが、真言宗豊山派総本山。たまたまではあるが、何か迎えてくれたような感じがした。

石段を登った仁王門の横に、こういう立て札があった。長谷寺の概略が書いてある。
なお、1行目の「朱鳥元年」の「朱鳥」は、「あかみどり」と読む。

仁王門。
何度か火災にあい、現在のものは、明治18年に再建されたものだそうだが、なかなか重厚な門である。

仁王門への石段を上がって行くと、目の前に、これぞ長谷寺、という登廊が見えてくる。
登廊の総延長は、108間、399段。上中下の3廊に分かれている。

登廊の下廊。
上から下がる長谷型の灯籠は、2間おきに吊るされている。

中廊から上廊への曲がり角。

長谷寺は、花の寺として著名である。四季折々さまざまな花が見られる。
私が訪れた10日ほど前は、まだ紫陽花の季節。登廊の周りにも、あちこち紫陽花が咲いていた。

ここにも。

登廊の上廊もここで終わり。左の方に、長谷寺の本堂の舞台が僅かに見える。

長谷寺の本堂は、山の中腹の断崖に懸造り(舞台造り)された大きな建物である。
本尊の十一面観世音菩薩が祀られた正堂(内陣)と、礼堂(外陣)、さらにその外に5間×3間の外舞台がある。
当然のことながら、十一面観世音菩薩像がある、内陣の写真は撮ることはできない。この写真は、大きな「大悲閣」の扁額が懸かる外陣である。その外に張りだした舞台から撮ったもの。
なお、内陣におわします長谷寺の本尊・十一面観世音菩薩は、身の丈3丈3尺6寸(10メートル余)、光背は4丈1尺(12メートル余)、とても大きな仏さまである。光背の先が天井につくんじゃないか、と思われるほど。金色に輝く、我国最大の木造仏である。
御本尊の大きな観音さまの前に、御眞言が書いてあった。「おんまかきゃろにきゃそわか」、と。
お賽銭をあげ、蝋燭を1本灯し、手を合わせた。

内側から撮った外陣の礼堂。

本堂の舞台から見ると、下の方に本坊が見える。

舞台の上から右手の方を見ると、木々の間に五重塔が小さく見える。

本堂の横に納経所があった。若い男が2人、20冊ばかりの朱印帳が入った袋を幾つも持って、汗だくになっている。朱印帳ばかりでなく、大きな紙のようなものも出している。納経所の中では、3人の人がセッセと筆を走らせ朱印を押している。
「代参ですか」、と聞くと、「そうです、旅行社です」、と言う。ヘエー、と思いながら面白いので暫く見ていた。終る頃、「写真を撮ってもいいですか」、と聞くと、「いいですよ」、と言うので撮らせてもらった。

少し離れた横の方から見た本堂。

境内の本長谷寺。後ろは五重塔。

弘法大師御影堂。やはり、周りには紫陽花が咲いている。


開山堂。


境内のあちこち、紫陽花の花が見られる。右下にかすかに見えるのは、本堂の屋根。

長谷寺の参道を出たあたりからの道の両側、門前町が続く。
食べ物屋、お土産屋、薬屋、酒屋、草餅屋、小さな宿屋もある。
一番手前の店で、よもぎうどんを食った。
その後、タクシーを呼んだら、やはり10分ぐらいお待ちを、と言う。帰りの運転手さんは女性だった。「ここには何台ぐらい車があるのですか」、と聞くと、少し間をおいて、「3台あるんですが、いつも3台ではなくて、1台か2台の日もあります」、と言う。「今年は、奈良で遷都1300年をやっているので、いつもよりは少しはお客さんが来てます。それでも、今の時期、お寺の中、ほとんど人がいないこともあります」、と言っていた。

和辻哲郎の『古寺巡禮』の中には、長谷寺についての記述はない。大きな長谷寺の十一面観世音菩薩は、和辻の思考の中には、無かったのかもしれない。
また、和辻の書中、あちこちに何度も出てくる聖林寺の十一面観音菩薩の聖林寺も出てこない。これは解かる。博物館に寄託され、その観音さまがいない聖林寺なんて、お寺には悪いが、何の魅力もないもの。
しかし、室生寺についての記述もないのは、少し不思議な感じがする。金堂内陣の左端におわす艶やかな十一面観音像や、小ぶりであるが故に、その優美な様弥増す五重塔のある、あの室生寺の記述がないのは。
もちろん、和辻は室生寺に行ってはいる。だが、この大正7年の古寺巡礼の時には、行かなかった。この時の和辻、今のJR、昔の国鉄で動いている。おそらく、その頃には、この近辺まだ近鉄が走っていなかったんだと思う。当時、長谷寺や室生寺に行くには、国鉄の桜井からであったであろう。だから、敢えて、となったのであろう、と思われる。
今でも、近鉄の長谷寺駅、この写真のようなものである。
長谷寺は、この駅名の書いてある後ろの方、山との間あたりにある。