奈良の寺(4) 中宮寺。

法隆寺のおとなり、中宮寺。
聖徳太子の御母・穴穂部間人皇后の御願により創建された、という。法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として、初めから計画されたらしい。
伝承によれば、金堂、宝塔、大講堂などの七堂伽藍を型の如くし、と言われているが、今は、小ぶりなお寺である。
中宮寺のパンフレットにも、「平安時代には寺運衰退し、宝物の主なものは法隆寺に移され、僅かに草堂一宇を残して菩薩半跏像のみ居ますと云った状態でありました」、と書いてある。
”草堂一宇”は、今、鉄筋コンクリートとなっているが、”菩薩半跏像のみ居ます”は、基本的に今も同じである。

法隆寺夢殿の横の道を曲がると、すぐここに出る。
左の方の小さな入口から入る。

入口の前に、こういう掲示板がある。
中宮寺の本尊・菩薩半跏像の写真が掲げられている。
如意輪観世音菩薩、とも呼ばれるし、半跏思惟像とも呼ばれるし、一般には、中宮寺の弥勒菩薩とも言われる。
この仏さまのみを観るために、全国各地から、また、外国からの人も含め、多くの人が、この小さなお寺に来る。

入口を入るとすぐ、この小さな門がある。
この門をくぐればすぐ、本堂が見える。

今の本堂は、高松宮妃殿下の発願により、吉田五十八が設計したもの。昭和43年に造られた。
万一のことがあったらとのことで、鉄筋コンクリート製のお堂になった、という。
中宮寺は、皇室との御縁が深い門跡寺院。<当今も皇室よりの御参詣しばしばに及び、中宮寺宮、中宮寺御所、斑鳩御所などと呼ばれるのである>、と求めた小冊子にはあった。<中宮寺門跡と号する>、とも。

池の上に建つ本堂の扉には、菊の御紋章が付いている。
このお堂の中に、クスノキで造られているにもかかわらず、黒く光る菩薩半跏像がある。えもいえぬ微笑みを浮かべ、半跏思惟のお姿で。
今は鉄筋コンクリートのお堂の中に納まっているが、はるかな昔、私が初めてこの仏さまにお目にかかった時には、たしかもっと小さな部屋で、襖や障子が開け放たれた畳の部屋の中に、チョコンと置かれていたような気がする。きれいな仏さまだな、と思いながら見ていたような想いが。
その後、今の形になった後も、何度かはお目にかかっているが、何故か、小さな畳の部屋の中に、という不確かな記憶のことが思い出された。
今年の初め、「日本遺産」補遺の中で仏像について書いた折り、この仏さまについての、和辻哲郎の言葉を引いたことがある。和辻哲郎、この菩薩半跏像(和辻は、中宮寺観音と呼んでいるが)をうっとりと眺めながら、さまざまなことを言っている。今日は、その中から一か所のみ引いておこう。
<あの肌の黒いつやは実に不思議である。・・・・・あのうっとりと閉じた眼に、しみじみと優しい愛の涙が、実際に光ってゐるやうに見え、あのかすかにほヽゑんだ唇のあたりに、この瞬間に閃いて出た愛の表情が実際に動いて感ぜられるのは、確かにあのつやのお蔭であらう>、と。

中宮寺の築地塀の向こうは、すぐ法隆寺。夢殿の屋根、宝珠が手に取るよう。