やまとめぐり(16) 長谷寺。

近鉄で室生口大野から大和八木の方へ戻る。10数分で長谷寺駅。長谷寺も山寺といえば山寺である。初瀬山の麓に造られた。
駅から長谷寺までは約1.5キロある。歩いて20分と案内板にあるが、私の足ではそれ以上かかる。以前は歩いた。が、前回5、6年前に来た時にはタクシーを使った。今回もタクシーとする。

駅前に「歓迎」と書かれた門がある。そこをくぐって少し下り、初瀬川沿いの商店街を長谷寺へ歩いていく。それはそれで趣きがあるが、それも今は昔。

この前でタクシーを降りる。

ウヌッ、工事中?

仁王門、大きく覆われている。

長谷寺は概略このような寺である。

仁王門の前。
右端に「御本尊大観音特別拝観」の看板が見える。
本堂内陣の春の特別拝観ができるんだ。本堂内陣の観音さまの御み足に触れることができる。長谷寺には何度か来ているが初めてである。当然のこと申しこんだ。

仁王門修復勧進の看板もある。
主旨は勧進であるが、仁王門についても記されている。
これこれ、と。

ここから長谷寺山内へ。

長谷形の灯籠が下がるが、工事現場。

登廊が始まる。
長谷寺だ。

下登廊の左右には幾つかの建物が現れる。
これは、<当山六坊の一院で・・・>、という慈眼院。

これは、月輪院。

下登廊から中登廊への繋屋をすぎ、中登廊へ。

中登廊から下登廊を見る。
大きな木がある。天狗杉。

中登廊から上登廊への繋屋である蔵王堂が右上に見えてくる。

上登廊。
平安時代の長暦3年(1039年)に造られた登廊、下、中、上の三廊で、108間、399段ある。

登廊を上りきった所には鐘楼がある。
先般の熊本地震の被災地への呼びかけがある。
なお、向こうに見えるお堂は愛染堂。

手順が記されている。
もちろん、手順「一」の前に、義援金を投入するのは当然のこと。

左手に本堂。

国宝である。

長谷寺本堂、三つに分けられる。
ここに見えている参詣者が集まっている所は「相の間」。ここから長谷寺の御本尊、3丈3尺6寸(10メートル余)の我が国最大の木造仏を拝む。
「相の間」の右側は、「正堂」である。内陣である。普段は入ることは許されていない。
そして、「相の間」の左側は、「礼堂」である。外陣である。
さらに、その外側に懸造りの舞台がある。
それはそうと、特別拝観を申しこんだ私は、正堂の中、内陣へ入った。薄暗い中をゆっくりと進む。

内陣の中はこうなっている。
①が、本尊の十一面観世音菩薩立像である。
②も③も⑦も興味深いものであった。

十一面観音の姿を撮ることは許されていない。
で、20年ほど前に訪れた折り求めた図録を複写する。
右ページの下に十一面観音の足がある。特別拝観では、この御み足に触れて祈ることができるんだ。私もそうした。孫娘とその一家のことを祈った。
仏教では仏さまの足は特別なものである。インドはじめさまざまな国で、さまざまな仏足石を見た。長谷寺の御本尊の足も特別なもの。

特別拝観をする人には、その左手に「結縁の五色線」との金剛線をつけてくれる。
しかし私は、3年前高野山の宿坊での朝勤行に出た折りにつけてもらった金剛線がついている。
その折り、ブログにこう記した。<金剛線、3年前にチェンマイのお寺でつけてもらったことがある。その時には、1年半ばかりついていた。高野山の宿坊での金剛線は、チェンマイのお寺のものよりもしっかりとしている。1年半では切れないであろう。2〜3年は持ちそうだ>、と。
とんでもない。高野山の宿坊でつけてもらった金剛線、今も健在、死ぬまで切れることはなさそうだ。
長谷寺でつけてもらった「結縁の五色線」は、高野山宿坊の「金剛線」よりはるかに大きい。丈夫そうである。
このような金剛線をつけていると、100年や200年生きてしまうのでは、との恐れがある。で、長谷寺の金剛線は取り外し、この封筒に入れてある。


白鵬がおかしい。
今日もあっけなく敗れた。
9日目、勢との一番で右足の親指を土俵に突っこんだのが響いている模様である。
仏さま同様力士にとっても足、そして指は大事である。白鵬、万全ではない。対白鵬、おそらく稀勢の里が勝つであろう。が、そのような状況での横綱云々、いまひとつすっきりしない。