やまとめぐり(13) 室生寺。

<それは昭和十四年のことであった。ぼくは・・・・・室生寺へ行った。・・・・・。そのときがぼくにとって弘仁仏との初めての出会いになった。・・・・・。・・・・・。いくらでも撮れる、それでいいという撮り切った満足感をぼくに与えるところはなかった。弘仁の彫刻を写して、これでいいというところに行きつけなかったところに、数十年にわたるぼくの古寺巡礼の旅があったのである>。
しばらく前、日韓ふたつの半跏思惟像のご対面展、という時に土門拳に触れた。全5巻に亘る豪華写真集『古寺巡礼』は持っていないが、展覧会の図録・『古寺巡礼 土門拳展』の中宮寺の半跏思惟像を複写した。
冒頭の文は、その図録の中にある土門拳の記述・「回想の室生寺」から取り出したものである。土門拳の古寺巡礼のとっかかりである。
同書中の他の解説によれば、土門拳、室生寺へは少なくとも50回は訪れたそうである。さすが「鬼の土門」である。半端な数ではない。
私は久しぶりに室生寺を訪れた。
以前訪れた折り求めた図録が出てきた。<平成6年・・・>の書きこみがある。22年ぶりとなるようだ。
桜井から近鉄で20分ちょっとで室生口大野へ着く。室生寺へのバスの時間、桜井で聞いていたのでバスの待ち時間さほどなし。

大野寺の弥勒磨崖仏が見えてくる。
バスは宇陀川の清流に沿って走る。

20分ばかりで終点・室生寺前へ着く。
バスを降りた先には、赤い橋が見える。
同じ川なのであるが、宇陀川、いつの間にか室生川と名を変えている。

赤い太鼓橋を渡ると・・・

女人高野 室生寺。

室生寺、山寺、山岳寺院である。

古刹にしてはあまりにも簡単な説明書きがある。
ま、解りやすいが。

このようなポスターが貼られている。
左は「大和の地蔵十福」。室生寺、大野寺、聖林寺など大和の10の寺のお地蔵さんを巡り10の福をいただこうというもの。
右は「奈良大和四寺巡礼」。長谷寺、岡寺、室生寺、安倍文殊院、この大和の4つのお寺を巡ろうというもの。この4つのお寺、東大寺、法隆寺、興福寺が横綱とすれば、大関か関脇か小結、いずれにしろ三役格のお寺である。それだけに、より味がある。

右手へ歩く。
仁王門がある。

仁王門を入り、左へ。
バン字池がある。
室生寺へ来たぞ、という思いが高まる。

そして、すぐ右手にはこの光景。
鎧坂の石段だ。

石段を上るにつれ、金堂の屋根が見えてくる。

そして金堂、その姿を現す。

国宝の室生寺金堂、寄棟造、杮葺き。山を切り拓いて造った懸造りである。
左手の石段を上り金堂へ。
金堂内陣の須弥壇には素晴らしい仏さまが並んでいる。
が、撮影は許されていない。で、22年前求めた室生寺の図録から須弥壇の模様を複写する。

金堂須弥壇、左から十一面観音、文殊菩薩、釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩。いずれも平安時代前期、弘仁・貞観仏。国宝、重文でもある。そして手前には十二神将像。

私はその中でも一番左におられる十一面観音が好きである。
5、6年前、好きな仏像ベスト3に挙げたことがある。飛鳥寺の飛鳥大仏、唐招提寺金堂の廬舎那仏と共に。
しもぶくれのお顔に色が残る。
秋篠寺の伎芸天と並び色っぽい仏さま、と言えるのではないか。

金堂の左には弥勒堂。

右には天神社。

室生寺金堂、趣のある色を醸し出している。

ここも。

近寄ったここにも。

この色合い、どう言えばいいんだ。

また石段を上る。

灌頂堂が現れる。
室生寺の本堂である。

と、灌頂堂のすぐ左にこれが。
続きは明日にする。



昨日、ユネスコの世界遺産に上野の国立西洋美術館が選ばれた。ル・コルビュジェの建築作品として。
そうか。


今日、孫正義、大勝負に打って出た。
ソフトバンク、イギリスの半導体開発企業・ARMを買収する。その買収金額3.3兆円。日本企業による海外企業へのM&Aとして最大規模。
今後5年、10年のIoT、Internet of Thinngsを狙ってのものだという。
ロンドンで「わずか3兆円・・・」と語る孫正義、私には5年後、10年後、ひょっとして手持ちの金が1000円しかなく、ラーメンを食っている孫正義、という姿も浮かんでくる。
そうではあるが、万も億も兆も飛び越えて、世界へ挑み続ける孫正義、いいんじゃないかい。