私には夢がある。


「私には夢がある」、マーティン・ルーサー・キングが発した言葉として世に知られている。
"I have a dream"で始まる、1963年のワシントン大行進の時の演説の冒頭のこの言葉、20世紀アメリカの名演説の中でも白眉、と言われる言葉となった。
実は、私にも夢があった。キング牧師のような高邁なものではないが、他愛のない密やかな夢が。
カメルーン戦に勝った時、アレッ、ヒョッとしてと思い、4日前デンマーク戦に勝ち、1次リーグを突破した時、それは夢として定着した。
ベスト8を惜しくも逃した岡田武史は、今、日本代表監督を退くことを表明した。岡田武史、どんなに慰留されようとも、どれほどの高額年俸を提示されようとも、翻意することはない。次の日本代表監督は、また外国人となるであろう。
古くは知らず、Jリーグが生れた以降のこの20年近く、なにしろ、日本代表監督、アジア予選段階で更迭された加茂周と、岡田武史以外いないんだから。オフト、ファルカン、トルシエ、ジーコ、オシム、外国人監督ばかり。だから、おそらく、次もそう。
私の夢は、岡田武史に、外国の代表チームの監督になってもらいたい、というものであった。いきなりヨーロッパというワケにはいかないが、アジアとかアフリカのナショナルチームの監督に。例えば、ウズベキスタンとか、中国とか、カタールとか、セネガルとかの。
今まで、日本には外国人監督がいるが、日本人が外国の監督になったことはない。それを、岡田武史に賭けていた。つい4日前からであるが。私の夢として。
しかし、その為には、1次リーグ突破程度ではダメだ。少なくとも、ベスト8には進まなければならない。そう考えていた。だから、今日のゲーム、是非勝ってほしかったた。岡田武史の為にも、ささやかな私の夢の実現の為にも。
だが、PK戦で日本は敗れた。私の夢は、潰え去った。
さすがサッカー大国ブラジルとアルゼンチンに挟まれ、揉まれている国、パラグアイはしたたかなチームであった。
ボール支配率は、6対4、押されていた。しかし、シュート数は、13対12、ほぼ互角といえた。勝つチャンスはあったが、決まらなかった。
TBSの画像から、追ってみよう。


先発メンバーは、前の3戦と同じ。今、不動のメンバーだ。

ゲーム開始前の岡田武史。常と変らぬ表情だ。

開始直後からゲームはパラグアイに支配される。
川島よく守っている。

本田圭佑シュートを打つも、ゴールはならず。

倒れているのは、闘莉王か。

パラグアイ押してはいるが、日本よく護り、両者得点は入らず、0対0で進行する。
岡田、動く。後半34分、アンカー阿部を下げ、中村憲剛を投入する。その前には、松井を下げ、岡崎を入れている。
岡田、攻めにいった。攻めて勝ちにいった。

消耗戦。大久保も倒れている。

後半終了まじかの岡田武史。

なんと、本田がイエローカードを受ける。

延長戦に入る。
控え選手も含め、日本円陣を組む。

15分ハーフの延長戦に入る前の岡田武史。何を考えていたのか。

延長に入っても、川島、ファインセーブを繰り返す。

今日のゲーム、私が唯一なぜだ、と思った場面である。
相手ゴール左でフリーキックを得た。本田が蹴る。
だが、本田は直接ゴールを狙わず、ゴール前に合わせたボールを蹴った。
何故だ。何故直接ゴールを狙わないんだ。何日か前のように。私ばかりでなく、そう思った人は多かろう。
残念だった。

延長戦でも決着つかず。
120分をフルに闘った選手、ピッチに倒れこむ。闘莉王も。

PK戦となる。
岡田武史、指示を出す。

PK戦の前、控え選手ばかりでなく、スタッフ全員で円陣を組む。
今回の日本代表、岡田ジャパン、チーム日本、実によくまとまっていた。本田や遠藤のゴールもあったが、このチームとしての結束こそ、1次リーグを突破し、決勝ラウンドに駒を進めた原動力であろう。

さらに、出場した選手の円陣。
コートを羽織らず、ひとりユニフォーム姿の中央の男は、ゴールキーパーの川島だ。

PK戦、どちらが先に蹴るかのコイントス。パラグアイ先攻。
パラグアイのキャプテンは、ゴールキーパーだ。手強い。

日本のひとり目、遠藤、ゴールネット右上に決める。

パラグアイの2人目、川島、反応している。惜しくも止めることはできなかったが。

日本の3人目、駒野が外した。3対2となった。
その直後の岡田武史。

日本の4人目、本田圭佑、慎重のボールをセットする。
相手キーパーの動きを見て、軽く蹴り成功。
緩いボールをヒョイと蹴った。ニクい蹴り方だった。もし、それまでにゴールを挙げていなければ、お前、そんな蹴り方10年早いぞ、という軽い蹴り方であった。まったくもって、ニクいヤツだ。

パラグアイ5人目。これが決まれば、ゲームは終わる。日本敗退する。
川島、この表情だ。

5人目も決められ、日本敗退する。ベスト8には進めなかった。とても残念だった。
戻る川島を、日本チームのキャプテン、まとめ役の川口が抱いて迎える。今回の大会、川口の功績も大なるものがあったのじゃないか。
川島の活躍、奮闘は、川口と楢崎の下支えがあったればこそ、そう思う日本人は多かろう。

PKを外しうなだれる駒野を、松井が抱く。


稲本も。
泣くな、駒野、お前はよくやった。ずっと先発、中澤、闘莉王と共に、日本のゴール前をよく守ってくれた。十分だ。

ゲーム終了後、岡田は、こう語っていた。
ここまで来たのだから勝たせてあげたかった、私の力が足りなかった、大会中やり方は変わっていない、選手はよくついてきてくれた、と。
岡田武史、このゲーム、勝ちたかっただろう。勝ちにもいった。だが、勝てなかった。残念だろう。
私も残念だ。このゲーム、岡田に勝たせてやりたかった。そして、岡田にいつの日か、外国のナショナルチームの監督をやらせてやりたかった。日本人初の。
「私には夢がある」、この私の密やかな夢も、儚く散った。
しかし、夢は散ったが、満足だ。