0.1%の目。

今日の朝日新聞朝刊には、驚いた。
ワールドカップに関する記事が、3ページに渉り掲載されているが、そこに馳星周が書いている記事。
タイトルは、「思った以上に悔しがれない」。デンマーク戦に勝利した後、本田が言った「思った以上に喜べない」、に懸けたもの。
強烈な岡田武史批判なのだ。批判以上に、岡田武史無能論なのだ。
日本中が「よくやった」、「頑張った」、「元気を貰った」、という大合唱で充ちている中。しかも、夕方にはその岡田ジャパン、日本に帰ってくるというのに。案の定、夕刻、関空に戻った彼らを待っていたのは、「ありがとう」、「お疲れさま」、の声だった。
よりにもよって今日、このような記事を載せたのは、朝日だけだろう。読売にも、毎日にもなかったし、他の新聞にもあるとは思われない。テレビは、各局そろって「イヤー、良かった」、の大合唱だし。
馳の論旨、こういうものである。
「選手たちは、2年にわたり、自分たちの監督から自信を奪われてきた。ろくに機能しないシステム、芳しくない成績。・・・・・しかし、最弱のカメルーンと初戦で当たるという僥倖に恵まれ、勝利することで彼らは監督に奪われ続けてきた自信を取り戻した。強運を味方につけた」。
「しかし、決勝トーナメントに進んだ途端、・・・・・勝ちたい、ではなく、負けたくないに気持ちが傾き、その結果、なんのリスクも冒せない、ひ弱な集団に逆戻りしてしまったのだ」。
「本来なら、弱気になっている選手たちを鼓舞するのは監督の役目なのだが、哀しいかな我らが日本代表監督にはその力がない」。
「強運に恵まれて、日本代表は快進撃を見せた。だが、それが監督のおかげだと考える選手は皆無だったのだと見るのはうがちすぎだろうか?」、とも。
今回の岡田ジャパンの決勝ラウンドへの進出、どのメディア(もちろん朝日新聞も。この馳星周の記事以外)も、国民(1カ月前には、”岡田じゃ勝てない”、と言っていた人の99%が、”岡チャンよくやった”、に転向した。私も、そうです。ハハハ)も、「団結力、結束力の勝利だ」、と言っている。今日帰ってきた選手たちも。
馳星周は、大のサッカー好き、本場ヨーロッパのサッカーを見るため、しばしば足を運んでいるサッカー通だそうだ。サッカーの目利きから見れば、そう見えるのか。それとも、単なる岡田嫌いなのか、とも思うが、そう言えば、昨日触れた南アフリカからの配信者も、こんなことを言っていた。
あのゲーム、日本人とパラグアイ人以外には、何と退屈な試合だろう、と思うであろう、と書いていた人だが。結果論ではあるが、と断った上で、あのゲームでの岡田采配への疑問を3つあげていた。それぞれの理由も書いているが、まあ、0.1%もいないであろうサッカーの見巧者や目利きと、国民目線との違いだろう。
なお、読売には、元日本代表の森島寛晃が書いていたが、「日本の120分の戦いは、大きな評価に値する」、「選手と監督、スタッフが一丸で戦えたことも、短期決戦の中で大きな力になった」、「23選手が岡田監督を信じてついていったことで、組織として戦うことができた」、というものであった。
今の日本人、あえて森島でなくても、国民の誰が書いても同じようなことを書くであろう、という、まあ、当たり障りのない記事ではあるが。
馳星周、最後にこうも書いている。
「オシム監督が病魔に倒れさえしなければ。どうしても、そう考えてしまう」、と。
そんなこと、言ったって仕方がないだろう。コラッ、馳星周、今さら、そんなことを、言ったって。岡田武史は、頑張った。
そのオシム、サムライブルーのスーツに、やはりサムライブルーのネクタイを結び、テレビで観戦していた、ということが、スポーツ紙に載っていた。オシム、日本の戦いはずっと気に懸け、見守っている。辛口のコメントも発しているのだが。
明日から少し留守にします。だから、ブログもお休みです。