主従二人(塩竈)。

昨日は、日本にとっての大一番があったので、主従二人の追っかけ、1日遅れた。
一昨日、塩竈神社の近くに泊まった芭蕉と曽良の二人、25日(旧暦5月9日)の早朝、塩竈神社に詣でる。
慶長12年、伊達正宗によって修復された塩竈神社、大変きらびやかな神社で、「このような道の果て、片田舎の境にまで、神霊あらたかにましますことこそ、我国の美俗であろうと思われて、とても貴く感じられた」、と芭蕉は書いている。
その神前に宝燈があり、鉄の扉に、「文治三年和泉三郎寄進」、とある。文治三年は1187年、500年前の俤が、目の前にある。何やら珍しい、と書き、<渠は勇義忠孝の士也。佳命今に至りて、したはずといふ事なし>、と続ける。
この、勇義忠孝の士で、その名は今でも、多くの人に慕われている、と芭蕉が書いている、和泉三郎という男、どういう男なのか。蓑笠菴梨一に教えてもらうと、こうである。
和泉三郎とは、藤原秀衡の三男、忠衡のこと。奥州に逃れていた源義経を匿っていた父・秀衡が死んだ後、長男、次男はじめ一族がことごとく義経を攻めた折り、三男の忠衡ひとり義経に従い、高館で戦死した、とのことである。父・秀衡の遺命に従い、義経に義忠孝をもって仕え、勇をもって死した。そういう男だ、と『菅菰抄』にある。
判官贔屓、何も義経ひとりに対してばかりでなく、義経につき従った人すべて、後の人の心を打つ。時代にはかかわらず、ということだろう。
その日の昼近く、主従二人は船を借りて松島に渡り、雄島の磯に着く。
この日、芭蕉が書いているのはここまでだが、曽良の『旅日記』によれば、松島に着いた後、茶を飲んで、瑞巌寺へ詣でている。残らず見物、と書いている。瑞巌寺のあちこち、くまなく観た、ということだ。
その夜は、仙台で知り合った、あの親切な画工・加右衛門が紹介状を書いてくれた宿に泊まっている。
W杯、1次リーグを突破した16カ国による決勝ラウンドが始まった。これからは、トーナメント方式、一戦一戦勝たねばならない。負ければ、そこまでとなる。
その第1試合、韓国対ウルグアイ戦、伯仲したゲームだった。
ボール支配率は、韓国55%、ウルグアイ45%。韓国の方が押していた。シュート数は、韓国15本、ウルグアイ13本、直接FKも、11本と11本、同数だ。ボール支配率から見れば、韓国だったが、ゲーム自体は、拮抗していた。両者共、攻めていた。結果は、2対1でウルグアイが勝ったが。
前半8分、ウルグアイが先制した。角度のないところからのシュートだった。素晴らしいシュートだった。
後半23分、韓国がヘディングシュートを決め、1対1、追いつく。このまま時間切れとなり、PK戦になるな、と思った。そうなればいい、PK戦を見てみたい、と思っていた。
しかし、後半35分、セットプレーからの韓国ゴール前、両軍何人かの選手を経たボールを、ウルグアイの選手が蹴りこんだ。カーブをかけた強烈なシュートだった。
このウルグアイのゴールを決めた選手、2点とも同じ選手だった。ルイス・スアレスという23歳の選手。オランダリーグの得点王、今売り出し中のストライカーのひとりだそうだ。こんなストライカーがいるなんて、知らなかった。
世界のストライカー、メッシや、クリスチアーノ・ロナウドや、ドログバや、ルーニーばかりじゃないんだ。3日後に、日本と対戦するパラグアイにも、きっといるに違いない。ウルグアイとパラグアイ、おそらく似ているだろうから。特に今回のW杯、南米のチームは、みな強い。
韓国が姿を消し、アジアで残っているのは、日本のみ。岡田武史と選手たち、踏んばれるか。