レスラー。

4〜5日前、ラッシャー木村が死んだ。68歳。
彼の実際の試合は、観たことがない。だが、テレビでのプロレス中継が盛んであった頃には、何度か見た憶えがある。
ラッシャー木村、61歳の時まで現役レスラーとしてリングに上がっていた、という。
プロレスは、台本、筋書きのあるドラマであり、ショーである。段取りを設定し、さまざまなギミックを駆使する。しかし、いくら大まかなブック(台本)があるとはいえ、鍛え抜かれた肉体が相撃つドラマである。1年近く前には、メーンを張るレスラーの三沢光晴が、相手の技を受け損ねて死んだ。厳しいドラマであり、ショーでもある。
その舞台、リングに、ラッシャー木村は、61の時まで立ち続けていた、という。凄い、と思うと共に、ウーンそうか、とも思う。
15年近く前になると思うが、プロレス通の若い男と話している時、こう言われた。ジャイアント馬場の試合を見るべきです、猪木なんかより、はるかに面白いです、私がお伴しますから、と。で、その若い男と見に行った。
馬場の晩年、50代後半、60近かったかもしれない。タッグマッチだったような記憶がある。だが、馬場がだれと組んでいたのか、相手のレスラーがだれであったか、まったく憶えていない。馬場のことしか憶えていない。初めて生で見る馬場、大きかった。しかし、ガウンを脱いだ馬場の胸には、あばらが浮き出ていた。動きも緩慢であった。
しかし、試合は面白かった。ロープを背にし、片足を上げている馬場の足をめがけて相手のレスラーが突進し、ドウと倒れる。これは歌舞伎だ、と思った。芸だ。まさに、芸術の域に達していた。
歌舞伎役者なら、ある程度の年代になると、国から褒章を貰ったり、人によっては人間国宝になったり、文化勲章を貰う人もいる。国は、馬場にも褒章ぐらいは授けるべきではないか、とさえ思った。60近くまで、肉体を賭け、一芸を磨いてきたのだから、と。
その何年か後に、馬場は死んだ。60を越えてもリングに上がり。国が、馬場に褒章を出したかどうかは、知らない。だが、馬場は、成功したレスラーであった。事業家としても、芸術家としても。
プロレスの世界、年をとってリングに上がり続けるレスラーは、多い。力道山の息子の百田光雄は、60を過ぎた今も現役だそうだし、ルー・テーズは70過ぎまでリングに上がっていたという。名がある彼らはまだいいが、年をとってリングに上がっている多くのレスラーには、どこか哀感が漂う。
1年近く前、「レスラー」という映画があった。監督は、ダーレン・アロノフスキー。ミッキー・ロークが落ち目のレスラーを演じていた。ザ・ラム、ランディというこのレスラー、40代後半、50に近いという設定であった。
映画は、ランディと場末のストリッパーとの哀しい恋、ずっと疎遠になっている娘との親子の縺れた情、ステロイドの打ちすぎで、医者から死ぬぞ、と止められているにもかかわらずリングに上がるランディ、全編、哀感漂うものであった。ミッキー・ロークの演技も凄かった。
プロレスラーの数は、案外多い。ランディのようなレスラーも、あちこちにいるんじゃないか。ラッシャー木村がどうであったかは、知らない。しかし、プロレスの世界、たぐい稀なる肉体を持った男の世界ではあるが、哀調漂う世界でもある。
レスラーではないが、2〜3日前、針生一郎も死んだ。