原発(続きの続き)。

久しぶりに長い時間テレビを見た。
この2カ月ばかり、テレビを見ることは少なくなった。夜のニュースは見ていたが、それもだんだん見なくなった。見るのは、ドキュメンタリーぐらい。ただし、新聞は、読んでいる。
ところが今日は、昼すぎからテレビを見てしまった。夜まで。バカなことをやってるな、と思いながらも、バカ騒ぎを見ていると、つい見てしまう。ニュースやニュースショーのキャスターやコメンテイターも、皆さん、同じようなことを言ってるな、と思いながらも、つい見てしまう。テレビってものも、厄介なものだ。
印象に残った場面が、二つある。
ひとつは、夕刻のフジテレビ。「このような状態、避難所の人たちにはどう写っているのでしょうか」、と避難所へ行ったら、テレビの前にはあまり人はおらず、外の仮設のリングで行なわれている、慰問の田舎プロレスの周りには大勢の人、という場面。
あとひとつは、たしか、夜のNHK。「内閣不信任案、否決されましたが」、とマイクを向けられた、計画的避難区域の飯舘村の村長さんの言葉。「そうですか。興味がないから見てません。朝から村の仕事をしてますので」、というもの。
共に、永田町のバカ騒ぎに対する、痛烈な批判だ。
NHKのキャスターや、各局のキャスター、コメンテイターが、「党利党略、個利個略の政局がどうこう」、なんてことを言っているより、よほど説得力がある。そんなキャスターやコメンテイターの言うことを聞いていた私も情けないが。
それにしても、水と油の谷垣禎一の軽挙に乗った小沢一郎の倒閣の動き、不発に終わり、壊し屋・小沢一郎の命運もここまでか、と思っていた。ヒール(悪玉)はヒールで、引き際がある。小沢一郎も70近い。もう岩手に帰り、好きな碁を打ち、釣りをするのがいい、と思っていた。
ところがだ。夜、ある専門家は、こう言う。小沢一郎は、存在感を示した。民主党執行部にとっては、これからも小沢一郎は恐い存在だ、と言う。そういうものか。永田町のこと、よく解からんな。
それはともかく、期日は不明ながら、辞任の意思表示をした菅直人は、早く辞めるほうがいい。この期に及んで、約束したんだから9月にオバマにも会ってとか、東電のどうこうとか、と言ってないで。第二次補正予算のメドがつけば、引くべきだろう。日本のため。
民主党にも、また、自民党にも、若くてイキのいいの、いくらでもいる。オバマと同年代の連中が。日本の将来、彼らに競わせるのがいい。
昨日、書き忘れたことがある。焼酎のお湯割りを飲み過ぎて、ボウとしてキーを打っていた。
JREPPの「2050年ビジョン」のことに触れた。2050年に、再生可能の自然エネルギーの比率を67%にする、というビジョンのことを。その中で、原子力発電の比率、大幅に減らすが、8%に、ということを紹介した。
しかし、これはおかしい。減らしたとはいえ、やはり、「安全神話」を引きずっている。
原発、リスキーなものである。原発、「オール オア ナッシング」なものである。続けるならば、より増やすべき。止めるなら、すべてを止めなければならない、と考える。
少し時間はかかるが、大震災と福島第一原発の問題が一区切りしたら、総選挙を実施すべきである。それとは別に、ヨーロッパの国々に倣い、原発の是非、国民投票にかける必要がある。推進するか、止めるかを国民に問うことが必要だ。原発は、リスキーな方式だ、ということを示した上で。
中途半端は、許されない。やるか、止めるか、どちらかだ。
原発容認派を続けてきた私も、考えなければならない。続けるべきか、止めるべきか。あと1年ぐらいの間に。