松浦さんの作品を見ると、格闘技を思う。

電気を通した鉄条網で囲ったリングで戦うプロレスがあった。電流爆破マッチと言ったか。大仁田厚が得意とした。プロレスはシナリオがあるとは解かっていながらも気合いが入っていた。
アートをプロレスと結びつけることは無茶なことであり、アーティストにも申しわけない思いはあるが、松浦延年の作品を見るとプロレスなどの格闘技を思うんだ。日常のバトルでなく、ガチンコのセメントマッチを。
命を賭けてんだということが伝わってくる。そんな言葉はないが、新たに作ればガチンコ絵画、セメントマッチ・アートである。
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4月初めの京橋、ギャラリー檜e・Fでの松浦延年展。
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e室に入ってすぐの壁面。
左の初っ端の小さな作品は・・・
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これ。
タイトルは≪Blue285&White≫。
小さな矩形の作品が二つ、くっついている。緑っぽいブルーと白い作品。戦っている。
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その先。
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≪Brown310≫。
褐色の上部に白がある。
今回の展示作、白が気になる。
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(左)は≪Yellow355≫、(右)は≪Yellow356≫。
マティエールが異なる。
が、何故くっついている。
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その先。
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≪Red410≫。
窓の位置、面白い。
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F室へ。
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作家の言葉とプロフィールが貼ってあった。
白に云々と記されている。そうなんだな。
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ハードエッジ、ソリッドシェイプ。
松浦延年、工学部の応用化学科で学んでいる。生物や物理ではない。どこか化学的だなと思っていた。やはりそうであった。
化学反応を起こしているような色調。AとBとが混ざり合い化学反応を起こしている。それが硬質な形状、色調を生みだしている。
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進む。
この壁面に。
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左から、≪White425≫、≪Blue389≫、≪White432≫。
ホワイト、白が、今回作家が突きつめる鍵のひとつ。
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≪White425≫。
<ユトリロの白い絵。・・・>、と作家は記す。パリの町中の白い壁のことを。
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そのマティエール。
ユトリロの白からはずいぶん進化している。
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作家・松浦延長が記す<Blue>は微妙である。緑っぽいブルー、グレーっぽいブルー、と。
左にそのブルー、そして右に白。
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≪White432≫。
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このような白。
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あとひとつ「白」を。
≪White437≫。
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物理でなく化学的な硬質な白の世界である。
ガチンコ勝負、セメントマッチの作品、であるやに思われてしかたない。


今日、先般のCTの結果説明があった。
人間ドックで3つの腫瘍マーカーの検査を受けたが、その中の「SCC抗原」というマーカーの数値が異常であった。扁平上皮癌で特異的に上昇する、と記されていた。で、腹と肺のCTを撮った。
腹の方は問題が見つからなかったが、肺の方に<不整形陰影が出現しています(画像6-7)>、となった。「呼吸器の専門医に手紙を書きますので」、と医者が言う。来週、呼吸器の医者を受診することになった。
30年近く前、「異形細胞が見つかった」というところから胃を切った。医者は「あなたは運がいい。ごくごく初期の癌である」、と言った。その後再発していないところから言えば、やはりそうであったのであろう。
今回はまだ癌かどうかは未定である。
が、そうであっても、「ああそうか」である。むしろ、よくぞ今までであったので、と思う。
昨日のブログで「霞を食ってる仙人だと思っていた丸山則夫さん(実は、ITの最先端のエキスパートであったということも分かったのだが)」と丸山さんとの最後の、末後のツーショット写真を載せたが、今となってはまあ常に「今生の・・・」なんだな、と改めて感じている。
そう言えば昨日、池江璃花子がホームページを開設した。池江璃花子、血液の癌と戦っている。
ジジイの私はどうでもいい。しかし、若い池江璃花子には何が何でも病を克服し、復活をとげてもらいたい。
そうであることを、切に願う。