主従二人(草加〜室の八島〜日光)。

対象は問わず、おっかけというものは、ポップシンガーのおっかけであろうと、韓流スターのおっかけであろうと、その対象と同じ場、同じ時を共有するところに醍醐味があるものであろう。
場も時も同じゅうはしていないが、芭蕉と曽良、主従二人のおっかけも、321年の時空を超えて、せめて同じ日に、ということを考えている。ところが、これが難しい。彼ら二人、トットトットと歩いていってしまう。なにしろ彼ら二人、足が速い。
2日間寄り道をしていたら、彼ら二人、相当先まで行ってしまった。
一昨昨日、深川を舟で出立した二人、千住まで見おくりにきた弟子たちと別れた後、その日は草加を経て春日部まで歩く。
草加では、旅の初日ということもあってか、芭蕉は、”耳にはしているが、まだ目にはしていない旅なので、もし生きて帰ることができたならば・・・・・”、ということを書いている。
西国への旅は何度もしているが、東への、北への、奥への旅は、芭蕉にとっても初めての旅なので、やや大袈裟なこういう言葉で飾ったのであろう。<・・・・・若生て帰らばやと定なき頼の末をかけ・・・・・>、という言葉で。
グーグル・アースで測ったら、千住から春日部までは、直線距離で30数キロある。道なりに歩けば、40キロ近くあろう。
一昨日は、間々田に泊まっている。
春日部から間々田までも、40キロ近く歩いている。もし生きて帰ることができたなら、なんてことを言いながら、1日にこれだけの距離を歩く。奥への旅に心が急くんだ。
昨日は、途中、室の八島に寄り、鹿沼まで行っている。
室の八島へは、壬生から入り壬生へ戻る、ということになるから、この日の行程は、50キロ前後となる。山道ではあったが2日前、ほんの2〜3キロ歩いただけで、今日に至るも足の痛みは去らず、あちこち湿布をしている私などには、驚くべき距離、数値である。
それはともかく、曽良の『俳諧書留』には、「室八島」とし、5句が記載されている。その初句は、
     糸遊に結つきたる煙哉     翁
私は、”糸遊”、という言葉も、”糸遊”が、陽炎の一種であることも、”糸遊を結ぶ”という言葉も、この句で、初めて知った。
芭蕉と曽良の主従二人、今日は日光に泊まっている。
鹿沼から日光までは20キロばかり、二人にとっては軽い距離であったろう。
日光の二荒山・東照宮に参る前、『おくのほそ道』には、「仏五左衛門」についての記述がある。
日光で、主従二人が泊まった宿の主である。仏と自称している男だが、芭蕉の書いていることは、やや厳しい。
仏かもしれないが、無知無分別で、ただ正直一辺倒の男である、と記している。さらに、剛毅朴訥な男に近いという感じで、本来の清らかさとはほど遠い、とも記している。
剛毅朴訥という言葉は、いい意味で使われることが多い言葉だと思っていたが、そうでもない使い方もあるのを知った。我々凡人とは違う、芭蕉のような人だからこそ、言えることではあろうが。