主従二人(黒羽)。

何やかやあり、この10日ばかり、芭蕉と曽良、主従二人のおっかけには、手が付けられなかった。
実は、彼ら2人も黒羽に長期滞在しているので、まあいいや、という気もあった。主従二人、4月3日(新暦5月21日)から16日(新暦6月3日)まで足かけ2週間、黒羽に留まっている。しかし、それも今日まで。今日、6月3日、長逗留の黒羽を発ち、高久へ向かう。追いかけなきゃ。
この間、黒羽では、城代家老・浄坊寺図書高勝の屋敷と、その弟の家に厄介になっている。共に俳人である。兄の俳号は、桃雪、弟は、桃翆(曽良によれば、翆桃が正しいらしい)。共に大歓迎をしてくれ、日夜語り続けた、と芭蕉は書いている。
何故、黒羽に2週間もの長期滞在をしたのか。曽良探偵説の嵐山は、<黒羽が交通の要衝だったからであり、・・・・・日光奉行と伊達藩の確執を調べるためであったろう>(『芭蕉紀行』)、としているが、山本健吉や先般触れた立松和平は、単に、よっぽど気持ちが良かったのであろう、と書いているにすぎない。
では、彼らが”眼光紙背に徹する”思いで読みこんでいるであろう『菅菰抄』で、蓑笠菴梨一は何と言っているのか。実は、この点に関しては何とも記していない。他のことについては、こと細かに解説をしているのだが。思うに、たとえ曽良が探偵、密偵の務めを持っていたとしても、江戸期の人が、そのようなことに触れることはできなかったもの。当然だ。
それはともかく、黒羽での芭蕉、もちろん歌仙を巻いているし、郊外を逍遥し、犬追物の跡を見に行ったり、玉藻の前の古墳を訪ねたり、那須与一が扇の的を射た時に、「別しては我国氏神正八幡」と祈念したという八幡宮に行ったりしている。芭蕉、案外楽しんでいた。
先ほど、面白いことに気がついた。『菅菰抄』には、犬追物や、玉藻の前や、八幡宮や、那須与一の扇の的、などについての丁寧な説明が長々と記されている。それはそれでありがたいのであるが、普通の言葉だと思える、郊外とか、逍遥ということについてまで教えてくれているのには、驚いた。こうである。
<郊外ハ、字書ニ、邑外曰郊ト、村バナレノ野地ナリ。逍遥ノ成語ハ(俗ニ熟字ト云)、荘子ニ見ヘテ、俗ノ気バラシト云意。ブラブラ遊ビアリク事ナリ>、と。たしかに、そうだ。しかし、蓑笠菴梨一、律儀な男だということは知っているが、そのあまりにも律儀な様には、少し驚いた。
修験道の寺、光明寺というところにも行き、役の行者を祀る行者堂を拝み、この一句を詠む。
     夏山に足駄を拝む首途哉
夏山を望み、役の行者の足駄を拝んで、いよいよ奥への道、細道へ旅立つぞ、という句。役の行者は、空も飛ぶが健脚でもある。
芭蕉、自らに気合いを入れたんだ。