主従二人(宮城野、壺の碑、末の松山)。

6月20日(旧暦5月4日)、白石を発った主従二人、名取川を渡り仙台に入る。5月4日、菖蒲を葺く日であった。
この日は雨もやみ、時々は太陽も顔を出していたようだが、白石から仙台までは、直線距離でも40キロ近くある。もちろん、道は曲がってもいるだろうし、途中、笠島や武隈の松なども見に寄っている。おそらく、実際に歩いた距離は、50キロ近かったのじゃないか。いつもながらだが、江戸期の人の歩行能力には驚く。
仙台では、国分町の大崎庄左衛門という男の宿に泊まる。4泊している。芭蕉、仙台にはさほど親しい人はいなかったようだ。
曽良の『旅日記』によれば、さまざまな紹介状は貰ってきたらしい。仙台に着いた翌日、21日(旧5月5日)、それらの人たちを尋ねるが、留守だったり断られたりもしている。しかし、尋ねた相手は不在だったが、その人と関わりのある人と知り合う。
北野屋加右衛門という画工で、和風軒加之という俳号を持つ俳諧師でもある。この人が親切な人なんだ。
22日(旧5月6日)には、主従二人で亀が岡八幡へ詣でているが、その翌日の23日(旧5月7日)には、この加右衛門、一日をかけて、宮城野、玉田、横野、つつじが岡、木の下、などの名所、歌枕の地へ、芭蕉と曽良を案内している。
さらに、加右衛門は、主従二人がこれから訪ねる、松島と塩竈の所々の絵も描いて贈ってくれた。画工であるから、分かりやすい地図なども描いてくれたのであろう。
さらに加右衛門、紺の染緒をつけた草鞋を二足、餞にとくれる。なんとまた、風雅の道を心得た男であることよ、と芭蕉は書いている。曽良の『旅日記』には、この時加右衛門が餞に持ってきたのは、草鞋ばかりじゃなく、乾飯一袋も贈っている。
さらに、翌日24日(旧5月8日)の朝(つまり、321年前の今日の朝だ。追いついた)、芭蕉と曽良の主従二人が仙台を発つ折りには、海苔を一包み持って、見送りに来てくれたそうだ。
<五月乙女にしかた望んしのぶ摺     翁
               加衛門加之ニ遺ス>
との記述が、曽良の『俳諧書留』にある。さまざま世話を焼いてくれた加右衛門に、こういう句を短冊に書いて与えたんだ。感謝の意をこめて、芭蕉は。
宮城野のくだりの末尾には、この句が記されでいる。
     あやめ草足に結ん草鞋の緒
時は、折しも菖蒲の節句である。加右衛門に餞に頂戴した、紺の染緒の草鞋に菖蒲を結んで、これからの旅を祈ろう、という句。
仙台で、はからずも知合った芭蕉と加右衛門、お互いに忘れ得ぬ男となったようだ。
今日、6月24日の朝、主従二人は仙台を発ち、塩竈を目指す。
前夜、加右衛門が描いてくれた画図をたどって行けば、おくの細道の山際に、十符の菅がある、と芭蕉は書いている。「十符の菅」とは、編み目の十ある菅菰を編む菅だそうだ。伊達家によって保護されていた名所だそうだ。
それよりも、その前の「おくの細道の山際に・・・・・」の「おくの細道」という言葉にも驚いた。道を指す固有名詞として使われている。注釈によれば、仙台市の東北、七北田川(冠川)沿いの道だという。
その後、多賀城にある壺の碑を見に行く。
壺の碑については、その来歴をさまざま書いているが、ようするに、碑自体は、国境までの距離を記した里程標だ。
聖武天皇が即位した年、神亀元年(西暦724年)に建てられたものとのこと。1000年も前の記念物が今目の前にある、古人の心を見る思いがする、と芭蕉は大感激をしている。
これも、行脚の一徳である、命があるからこその悦びである、とも書いている。涙も落ちるばかりである、とも。
その日、未の刻、午後2時すぎに塩竈に着いた主従二人は、湯漬けを食った後、野田の玉川、沖の石、末の松山、といった歌枕の地を訪ねている。塩竈の浦では、入相の鐘も聞いている。いやよく動きまわる。大分汗もかいたのであろう、銭湯にも入っている。夜には、盲目の琵琶法師が語る、奥浄瑠璃というものも聴いている。
平家琵琶でもない、幸若舞でもない、ひなびた調子で少々やかましいが、さすがに、辺土に残る遺風を忘れずに伝承しているのだな、と思うと、殊勝なことに思われる、と芭蕉は書く。
その夜は、塩竈神社に近い、治兵へという宿に泊まっている。主従二人の好奇心、旺盛だ。

グループFのイタリア対スロバキア戦、イタリアが2対3で負けた。
終始スロバキアに先行されていた。終盤猛攻をかけたが、及ばなかった。後半ロスタイムには、意地のシュートも決めたが、そこまでだった。1次リーグで1勝もできず、姿を消した。
イタリアは、前回ドイツ大会の優勝国。一昨日、やはり1勝もできずに姿を消した前回の準優勝国フランスといい、今日のイタリアといい、ヨーロッパの強豪と言われる国々、今回のW杯の戦い、どこかおかしい。
25日未明の日本対デンマーク戦、あと少しだ。
おそらく、後半投入されるであろう俊輔、今日32歳の誕生日を迎えたそうだ。ひと月前までは日本のエースだ。意地の一発を決めてくれ。
頑張って、寝ないで待とう。