大山詣(続き)。

「大山詣」と銘打ちながら、昨日のブログ、ケーブルに乗って新緑を見に行っただけじゃないか、と思われた方もおられよう。たしかに、そうである。
他の人に較べ、何分の一しか歩いていない。だが、ケーブルを下りた後、大山名物の豆腐料理屋で精進落としの宴会をし、帰りのバスに乗った後、足が痛くなった。
ふくらはぎから太股にかけ、両足につったような痛みが走る。山歩きのベテランであり、昨日の案内役でもあるHがバンテリンのスプレーで処置してくれた。それで、一時は治まった。
しかし、帰宅後も疲れがひどかったので、大山詣には触れずに、昨夜は手短に、新緑の写真のみのブログとした。
実は、再開したばかりの「主従二人」、芭蕉と曽良のおっかけが気になっている。あの二人、大変な健脚家で、一昨日江戸を出立したばかりなのに、スタコラスタコラ歩き、明日にはもう日光に着いてしまう。おっかけの遅れが、気にかかっている。
だが、折角の大山詣、新緑だけでは心残りなので、もう一日続ける。
大山は、修験道の山、信仰の山として知られる。
ケーブルの駅で貰ったリーフレットには、「大山阿夫利神社は、第10代崇神天皇の頃(B.C.97年頃)の創建と伝えられ云々」と書かれている。その真偽はともかく、古くからの信仰の山だ。江戸時代には、大山詣が、江戸庶民の楽しみであった、という。

阿夫利神社下社。
山頂の本社には行っていない。だが、この下社だけでも多くの摂社を持っている。二重社、浅間社、菅原社、その他の。それだからか、本殿裏の願い事の札を見ていると、大抵の願い事に対応している。商売繁盛、家内安全、学業成就、病気快癒、といったものから、国運隆盛、世界平和、といったものまで、どのような願い事も叶えてくれるようだ。

下社本殿の千木。

大山には、小ぶりだが幾つもの滝がある。二重社の横にもあった。清らかな水が流れている。豆腐料理が名物なのも、そのことによるのだろう。
本殿の地下に、こういうところがあった。龍頭から、清らかな水が落ちている。

下社から見晴台までは、こういう道が続く。
地上に出てきた木の根や石がある。歩き難い。一応鎖が張ってあるが、道幅が狭いところもあり、雨でも降ってきたら大変だろう。

その為、こういう立て札が立っている。

こういう立て札も。崖の勾配は案外急で、落ちたら助かる見込み半々ぐらいかな、とも思える。

実際に滑落し、亡くなる人もいる。
このような「発生現場」通行注意、という立て札が、見晴台まででも2〜3本立っていた。

落ちるのは、人間ばかりではない。上の方からは、石も落ちてくるようだ。

このような解説立て札もある。
ケーブルで上がったところから、大して離れたところではないのだが、原生林の中、といった感じを受ける。
普段見ることのない大きな木が、いっぱい生えている。

昨日見た中で、最も大きな木は、この木である。
名は知らないが、針葉樹であった。幹の直径、太いところは、2メートルぐらいあるのでは、と思う。

しかし、昨日見た木の中で一番印象に残っているのは、アカカシだ。
案内役のHが、「カシにもいろいろな種類があるが、この大きくて枝のぐねぐねしているやつは、アカカシだ」、と言っていた。
おそらく、この木もアカカシであろう。

ここから後の木の写真は、みなアカカシだろう、と思って撮ったもの。これも。

こういうゴツゴツとした感じのヤツもいる。
感じからいって、やはりアカカシであろう。

幹の中が、”うろ”になっているものもある。随分長い年月をかけてであろうが。

この木もそう。

これは、抉られたようになってるな。

”うろ”というより、引き裂かれたというか、削られたようなアカカシもあった。

千差万別、さまざまな形を見せるアカカシの姿も興味深かったが、昨日案外面白かったのは、道のあちこちに立てられている立て札だった。
滑落注意とか、落石注意とかといったものばかりでなく、さまざまな立て札がある。
これは、山火事注意の立て札。下に、通報時の場所を知らせる為の番号が記されている。

このような立て札もあった。山だもの、たまには熊も出てくるのであろう。熊の絵を描いた立て札もあった。

立て札には、注意ばかりでなく、このようなものもある。

大山は、国定公園。原生林を護るばかりじゃなく、人工的な保育、育成にも取り組んでいる、ということだろう。
しかし、この立て札は、倒れている。力尽きた感じで横たわっている。その内に、土に還りそうだ。育成事業の方も力尽きてなきゃいいが。