鯨。

実は、昨日書こうと思っていたのだが、長くなるので、途中でやめたことがある。鯨について、シー・シェパードの連中とは、また別のことで。
調査捕鯨ってどんなことをしてるのかな、と思って。
(財)日本鯨類研究所のHPには、長々とさまざまなことが書いてあるが、要するに、こういうことのようだ。
「鯨類資源を持続的に利用するための、管理体制を確立するために、必要な科学的データを収集することにある」、「その目的のためには、致死的手段で収集しなければならない」、「資源量モデル作成に不可欠な、卵巣や耳垢栓といった内蔵、内部器官を採集できるし、生態系モデル構築のために必須の、胃内容物も知ることができる故」、とある。
そうか、それで捕ってるんだ、と思い、じゃあどのくらい捕ってるのかな、と思ったら、(財)日本捕鯨協会のHPに、こういうデータが出ていた。「日本の調査捕鯨に於ける、捕獲頭数と資源量との比較」、というものが。いつのデータなのかは、不明なのだが、今のHPに出ているものなのだから、去年とか一昨年のデータであろう。
その中、南極海調査海域での、捕獲計画数と、資源量に対する比率は・・・・・
クロミンククジラが、850頭で、0.2%、ナガスクジラが、50頭で、0.4%、ザトウクジラが、50頭で、0.1%、とある。この数、多いのか、少ないのか、私には解からない。
しかし、鯨は、人間より少し長生きらしい。100歳を越えて生きる鯨もいるらしい。子供は、人間と同じく、通常1頭を産むそうだ。出産は、2年に1回、と出ていたように思う。仮に、人間と同じく、20歳から40歳ぐらいの間に、2年に1頭づつ産むとすると、雌雄2頭で、20年の間に、10頭の子供を産むことになる。つまり、5倍になる。
私には、計算ができないが、少し数学が解かる人には、20年で5倍増と、毎年0.1%〜0.4%減の相関関係は、ほんの1〜2分ではじき出されるだろう。感覚的には、捕獲数は、微々たるものだ、と思うが。
ただ、その前提となる資源量が、日本が言っているものか、国際的なコンセンサスとなっているものか、の問題はあろうが。
さらに、鯨では、先日のアカデミー賞で、ドキュメンタリー部門長編賞を取った、ルイ・シホヨスの『ザ・コーヴ(入江)』、の問題もある。
和歌山県太地町の、イルカ(小型の鯨だ)の追い込み漁を撮ったもの。入江に追い込んだイルカを、銛でつき殺し、それを食する、日本人の残酷非道な行為を告発する映画だという。隠し撮りもあり、太地町長、太地町議会、和歌山県知事、さらに、農水大臣、みなカンカンに怒っている。一方的な価値観の押しつけと、間違った情報で批判している、と。
太地町と姉妹都市を結んでいた、オーストラリアのブルームという市では、シー・シェパードからの提携をやめろ、との圧力もあり、一旦は、姉妹都市提携を解消したが、また、それを取り消したそうだ。この映画のおかげで、あちこち悩んでいる。
日本でも、悩んでいる。立教で試写が予定されていたが、太地漁協からの申し入れで、取りやめたらしいし、一般公開の予定が立っていない、という。だが、それはどうか。公開すればよい、と私は思う。判断は、それぞれの人に任せればいい。
一方的な価値観の押しつけに、怯むことはない。古来からの固有の文化の問題だ。
渋谷の文化村通り、東急本店へ行く道の左側に、「くじら屋」という店がある。私も何度か行ったことがあるが、尾の身なども、旨いと言われるから、そう感じる、という感じで、正直に言えば、マグロのトロの方が、より旨い。値段も、普通の居酒屋よりは高いが、そう高いということもない。それより、日本人、鯨など、日常そう食べていないんじゃないか、ということも考える。流通量が少ない、ということばかりじゃなくて。
本当に鯨の肉が好きならば、調査捕鯨もさることながら、鯨の養殖を考えたらどうか、と思う。突拍子もない、バカげたことと思われるかもしれないが、可能である、と思う。品種改良によって。
人間は、さまざまな物を作り出してきた。植物では、収獲量の多いものを、品種改良により、作出してきた。動物では、肉の量が多い品種を作りだした。鯨でも同じであろう。
鯨の場合は、今までとは逆に、小型化の品種改良を行う。養殖に適した大きさの鯨にすればいいんじゃないか。鯨は、捕るもの、という考えを転換して。日本の育種技術をもってしては、不可能ではないだろう。
ただし、日本固有の文化の問題とは、別の話である。