MOTと上村の涙。

昼、MOT(東京都現代美術館)へ行く。

レベッカ・ホルン展。昨秋にも行ったが、今日は、コンテンポラリー好きの若い人と。3カ月半にも渉った長期展、今日が最終日ということもあり、MOTの中、久しぶりに混みあっている。
大きなペインティング・マシーンで描かれた壁面、真っ黒になってんじゃないかな、と思っていたら、マシーンは動いているのだが、壁面は3カ月前と同じ。ひょっとして、1週間ぐらい毎に取り替えているのかな、とも思ったが、考えてみると、そんなバカなことするはずがない。あんな大きな壁を、毎週取り替えるはずがない。
係の人に聞いたら、マシーンは動いているが、絵の具は出ていないという。お客さまにもかかりますし、という。会期前に描いて、後は、絵の具の装着はしてないんだという。去年見た時には、てっきり絵の具の飛沫が飛んでるように見えたんだが、そんなことを思うオレの方がおかしいな、と改めて思う。
レベッカ・ホルンの映画は、面白かった。以前にも観た「ラ・フェルディナンダ メディチ邸のためのソナタ」と、場所が空くまで立ち見をした、「ダンス・パートナー」の後半部分。いずれも、非日常的な物語。後ろの部分しか観られなかったが、マンハッタンのアパートの一部屋での物語、「ダンス・パートナー」の、窓からずっと外のビルが見える映像、いかにもニューヨークって感じが出ていた。映画の主題は、そういうところではないのだが。
常設展の中の企画展示、「クロニクル 1945、1951、1957、 戦後日本美術を見直す」に、戦争記録画があったのには驚いた。橋本八百二の油彩画「ニューギニア作戦」という200号ぐらいの大作。戦争記録画は、終戦後、GHQによりアメリカに持ち去られ、後、永久貸与という形で、すべて国立近代美術館に保管されている、と思っていたので。
なにより、戦争記録画が、MOTにあることに、ビックリした。なんでも、岩手かどこかの地方都市にあったものだそうだ。それが、現代美術館に寄託されているようだ。MOTでは、このような絵、初めて観た。
途中、タバコを吸いに外へ出たら、喫煙所から見える所に、こんなものがあった。

葉を落とした枯れ枝に、鳥の巣のようなものが、ぶら下がっている。縄か竹かで造られているように見える。
誰の作品かは知らないが、ほんとに鳥がくるかもしれないな、と思った。MOTだからな。
夜、リプレーで、モーグルの映像を観た。上村愛子の涙の会見の映像も。
「満足です。ちょっと悔しいですけどね」、といい、「何でこんなに一段一段なんだろうと、思いましたけど」、と言って、しきりに流れる涙をグラブで拭っていた。長野以来、オリンピックには4度出て、7位、6位、5位、ときて、今回は、4位。上村の気持ち、よく解かる。しかし、上村、よくやった、と思う。
彼女自身こうも言っている。「多くの人に応援していただいて、それが、一昨年、去年にいい成績を残すことで喜んでいただけて」、とも。そうだと思う。昨年までの上村、凄かった。強かった。だが、今年は、調子を崩していた。去年が、上村のピークだった、と思う。だから、4位でメダルを逃したことは、無念だろうが、よくやった、立派なものだと、私は、思う。
上村の涙、腰パンの悪ガキ、国母和宏には、解からないだろう。通じないだろう。
かりにメダルを逃しても、”今日は、イマイチ、調子に乗れなかった。四六時中、あちこちで滑ってんだ、こんな日もあらぁな”、と宣うだろう。
日本のメダル、橋本聖子が目標とする10個なんてことには、遠く及ばず、せいぜい2〜3個だろう。その内の1つが、国母が取ったもの、なんてことになった日には、日本中、困る。