高橋義孝がいう「横綱という存在」。

独文学者の高橋義孝に、『大相撲のすがた』という著がある。昭和59年発行(平凡社刊)であるから、今から26年前の書。
その序に、<何十年も前に書いたものもあれば、またついこの間書いたものもある>、としているが、その7年前の書中に、<相撲見物50有余年>、という記述があるので、この時には、60年ぐらい相撲を観てきた時の本、ということになる。
高橋義孝については、初場所の前、横綱審議委員のけいこ総見の日、1月5日のブログ「横審の品位と存在感」の中でも少し触れた。昔は、こういう品位と存在感の感じられた横審委員がいた、として、石井光次郎、稲葉修と共に、高橋義孝の名を挙げた。
高橋は、1964年(昭和39年)から1990年(平成2年)まで、26年の長きにわたり横審の委員を務めている。1981年(昭和56年)から最後の年までは、委員長を務めた。横審委員の任期は、今は、5期10年だが、昔は、さしたる任期の定めはなかったんだな。
その高橋の書『大相撲のすがた』に、「横綱という存在」という一章がある。
いつごろ書かれたものかは、解からないが、いずれにしろ、45〜6年前から、20年ほど前の間に書かれたもの。示唆に富んでいる言葉があるので、そこから幾つかの言葉を引きだしてみよう。
「横綱推薦に関する私見」という項には、よく知られた内規、(1)品格、力量が抜群、(2)大関で二連続優勝、(3)第2項に準ずる好成績、を記した後、これらは、目安だ、として、小さんに聞いた話(これも面白いのだが、長くなるので引かない)を記し、この噺家の真打昇進の経緯は、そのまま横綱昇進の条件と考えていい、と書いている。
<つまり、「衆目の一致する所」、「十目の視る所、十手の指す所」、これが横綱昇進の理想的且つ現実的条件なのである。「二連続優勝」だの「第2項に準ずる好成績」だというような、けち臭い、こせこせしたものであってはならないのである>、と記す。
「綱の条件」という項では、<条件がないのが「横綱」である>、と記し、<それでもなおかつ「条件」を挙げよというのなら、納得ということがそれだとも云おうか。本人の納得はとにかく、本人以外の、相撲界の人たち、また相撲界に近い人たち、一般の相撲ファン、一般世間の人たちの消極的納得が、横綱に推されるための最低の条件ではなかろうか>、とする。
また、<横綱一般について云えば、滅法界強くて、いつまで経っても絶対に負けない横綱などというものは、可愛気がなくて面白くない>、とも書き、<横綱は庶民の夢のうつせみの体現者である。夢であり、うつせみである以上、はかないのはやむを得ない。はかないからこそ人間味があるのだ。強いからといって、百獣の王ライオンが横綱にはなれない道理である>、とも書く。
「反時代的効用」の項には、<相撲はほかのスポーツとどうしても同列に論じられないものを持っている。そこに相撲のよさがある。つまり現代風でないところに相撲のよさがあるのだ。・・・しかしあらゆる時代は、どこかに反時代的なものを持っていてこそ、かえって血のかよった人間の時代になりうるのではないか。相撲の、そして横綱の効用も、そんなところにあろう>、とも記している。
まだまだあるのだが、長くなるので、あとひとつで措く。若い人は、ご存じないだろうが、昔あった若き日の大鵬のピストル事件について、
<しかし法は法である。この点では天下の横綱も決して例外ではなく、単なる一市民の資格で法の裁きを受けなければならない>、と記している。
示談が成立したようで、法の裁きは免れ、今日の皇司の引退相撲には出てきたが、さて朝青龍、大先達・高橋義孝の言葉、何と聞く。
さらに、相撲協会は、何と聞く。
そして、一般世間は、どう思う。