稀勢に綱。

一日中出かけていたので、稀勢の里の口上を聴くことはできなかった。帰ってきたのも遅かったので、夜のテレビニュースもすべて終わっていた。ネットでは見たが。
稀勢の里の横綱への昇進は4日前、初場所14日目に白鵬が敗れ稀勢の里の優勝が決まった時に決まっていた。横審委員長の守屋秀繁が、「千秋楽の星はどうあれ、稀勢の里を横綱に推挙する」、と語っていた。
時代が変わってもそうである。
守屋秀繁、千葉大の名誉教授だそうだが軽い発言である。2横綱1大関が休場している場所で、残る横綱に勝とうと負けようと稀勢の里は横綱だ、という発言なんだから。「日本国民がそれを欲している」、とも語っている。稀勢の里に肩入れしている私でも、千秋楽で白鵬に負けたら昇進は見送るべきだ、と思っていた。
なお、先般記載の半藤一利著『大相撲こてんごてん』には「よこしん(横審)」という項目もある。
半藤一利、横審というものをまったく信じていない。
が、楽日最後の取組み、稀勢の里、白鵬の猛攻に耐え勝った。ホッとした。これで形は作れる、と。
はっきりと言えば、二場所連続優勝の規定には達していない。それに準じるということになるのであるが、これも稀勢の里以外の力士ならば難しい。稀勢の里は特別なんだ。日本相撲協会は、稀勢の里には甘いんだ。いや、日本相撲協会ばかりじゃない、日本国民もおしなべて稀勢の里には甘いんだ。実は、私も稀勢の里には甘いんだ。
そういう暗黙の了解事項なんだな、稀勢の里に関しては。
考えてみればすぐ分かる。
大学出の力士が当たり前の時代に、中学を出た後すぐに相撲の世界に飛びこんだ男である。いわば叩き上げ。愚直に稽古をする。ここ一番というところで負けても、ただ耐える。こんな男なら甘くしても問題なし、というのが日本国民のコンセンサスになっていた。
稀勢の里の横綱昇進、それこそ日本中みんな喜んでいる。

今日の朝日夕刊一面を複写した。
口上は、こういうしごくシンプルなもの。これがまた、稀勢の里らしいとの声が多い。
私もそう思う。

今日から明日へ、というか昨日から今日へというNHKの番組に、日を跨いで流される「時論公論」がある。
今日の「時論公論」、こういうものであった。語るのは、解説委員の刈屋富士夫。

内規、基準というものはある。
が、連続優勝に準ずる、という項目。

こういうことがあったそうだ。
稀勢の里、先代親方の厳しい指導の下。

ニ所一門の連合稽古、琴奨菊との三番稽古である。
来場所、稀勢の里は横綱となり、大関を陥落した琴奨菊は関脇となる。
4横綱時代となる。稀勢の里を含めた4横綱、鎬を削るのか。難しいであろう。4横綱、みな1、2歳の間にある。
理想的な予測では、暫らく白鵬と稀勢の里の時代となる。しかし、白鵬と稀勢の里、年代は近いが、そのピークは異なる。ライバル、とは言い難い。
何のかのと言っても、稀勢の里のライバルは関脇へ落ちたとはいえ琴奨菊である。毎場所目にした二人の申し合い、目に焼きついている。
稀勢が綱を張る時代、どういう時代になるのであろうか。