「日本遺産」補遺(16) (私の5つ)。

「日本遺産」の補遺、何回か書こう、と思い書き始めたが、いつの間にか半月にもなってしまった。
今日の、”私が考える「日本遺産」”で終わろうと思う。
さまざまなことを考え、何にするか迷ったが、最終的に次の5つとする。
・<明日香村の田畑>。
・<広島原爆資料館>。
・<北斎の画業>。
・<JRローカル線の駅>。
・<梅干>。
トップの<明日香村の田畑>は、日本という国を考えた場合、私の頭に、まず浮かぶところ。いわゆる、飛鳥の地であるが、村落の名としては、明日香村。”大和は国のまほろば・・・”の大和、奈良盆地の南部にあたる。現在の奈良市からは、少し離れる。
近鉄の駅でいえば、橿原神宮前で降り、飛鳥寺の方へ入り、そこから南の方へ行き、高松塚古墳のあるあたり、そこいら一帯が明日香村である。高松塚古墳のあたりから西の方へ行くと、近鉄の飛鳥駅に出る。このあたり、古墳や天皇陵が多いが、それよりも私が好きなのは、あちこちにある田や畑。
特に、おだやかな秋の日の夕暮れの明日香村の田畑の風景だ。畑の中で、お百姓さんが、ポツリポツリと野良仕事をしていたら、なおのこといい。これが、日本の”まほろば”だな、と日本人なら誰しもが思うだろう。
とても心地よい、平らかな気持ちになる。第一級の「日本遺産」だ。
次は<広島原爆資料館>だ。正式な名称は、「広島平和記念資料館」だが、原爆資料館。原爆は、日本の欠くことができないアイデンティティーのひとつ、と言ってもいいだろう。他のどの国も持ちえない、日本のみが持つアイデンティティー。強いて言えば、落としたアメリカにとっても、ということもあるが、アメリカ人の多くは、そうは思っていないようだ。また、長崎もそうだが、まずは、広島。
いつだったか、終戦後50年の年だったか、60年の年だったか、忘れたが、私は、その年の年賀状に、「世界の全ての国のトップは、その就任条件の一つとして、広島へ来ることを義務づけたらどうか」、と書いたことがある。
昨日、広島市長の秋葉忠利がオバマに会った時、「いつか広島にいらしてください」、と言ったら、オバマも「行きたいです」、と答えた、というニュースがあったが、今のオバマを取りまく情勢では、なかなか実現は難しかろう。しかし、オバマは、いつか必ず広島には来る。私は、そう思っている。
原爆ドームは、ユネスコの「世界遺産」に登録されている。原爆資料館が、「日本遺産」になって何の不思議はない。
3番目は、<北斎の画業>。北斎については、10日少し前の「日本遺産」の補遺「絵、忘れてはいないか」でも述べたが、外すワケにはいかない。”画業”としたが、”全北斎”と言ってもいいし、”北斎という人”と言ってもいい。ともかく、日本の絵描きで世界に誇れる第一級の人物は、北斎を措いていない。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、デューラー、レンブラント、そして、近場から選べばパブロ・ピカソ、といった、桁外れの巨人、巨大なアーティストは、日本では、北斎ひとり。外せない。
ここまでは、まあ、すんなり来たのだが、あと2つは、悩んだ。
まず、「芸術新潮」が依頼した、現代日本を代表する68人の、もの書きや絵描きなどの連中が、<百済観音>を除き、一つも選んでいない仏像を考えた。
仏像となると、10日ばかり前の補遺に記した、私の好きな仏像ベスト3のトップ、<飛鳥大仏>となるが、それでは、明日香村と重なる。では、唐招提寺の<盧舎那佛坐像>か、<鑑真和上像>にするか、あるいは、思いきって、東大寺の大仏様と共に、最も多くの日本人が見たであろう、その東大寺の<金剛力士像>にするか、などさまざま悩んだ。が、悩んだ末に、これは、5つの中からは外すことにした。
次に、そんなものとは全く遠い世界、しかも、超極私的な世界、を考えた。と、”W藤”ということが、頭に浮かんだ。ダブル藤とは、二人の藤、藤圭子と藤純子のことである。藤純子は、菊五郎と結婚した後、富司純子と名を変えたが、それまでは、藤純子だったんだ。だから、私にとっては、圭子と純子、二人の藤である。
「芸術新潮」の「日本遺産」には、中村とうようが、<価値ある大衆音楽の記憶>として、音楽専門家の立場から、<美空ひばりの「港町十三番地」>や<川田義雄の「浪曲ダイナ」>、など5曲を挙げている。キャンディーズの歌も含めて。
二人の藤から、1曲ずつを選ぶとすれば、藤圭子では、「夢は夜ひらく」(この歌、園まりも歌っているが、藤圭子が歌う、石坂まさを作詞の「夢は夜ひらく」に限る)、藤純子では、もちろん「緋牡丹博徒」。このふたつの歌、40年近く経った今でも歌える。正直に言えば、今でも家人が出かけていない時など、たまに歌うことがある。ハハ。
でも、そんな超極私的なことを考えていると、高倉健の「網走番外地」や森進一の「港町ブルース」のことまで思いだしてきた。おさまりがつかなくなってしまうので、これも外すことにした。
私が見た、想い出の風景も頭に出てきた。花の吉野、紅葉の三尾(三尾は、京都嵯峨野の奥、栂尾、高尾、槙尾の三尾である)、そして、厳冬の雪と氷のオホーツク。特に、厳冬のオホーツクが忘れられない。30年以上前と5〜6年前の二度行った。
だが、これも外した。5〜6年前に行った時のことを思い出したからである。この時は、網走に流氷を見に行った。しかし、網走に宿がとれず、北見の小さなホテルに3日ほど泊まった。仕方がないので、3日間、北見から網走まで、JRのローカル線に乗って、行き来していた。
と、途中の小さな駅で、高校生の男の子や、若い女の子が乗ってくることがあるんだ。周りにはなにもない、小さな駅から。彼ら、彼女らは、おそらく、周りに何もないその地で生れ、育ってきたのだろう。そして、たまに網走や北見の町に行くんだ。
彼らが学校を出たら、網走や北見で働ければいいな、と私は思った。いや、もっと大きな旭川で働いた方がいいな、と思い、いや、洒落た札幌で、せめて1〜2年でも暮らさせてやりたいな、と思った。
いずれ、何もない田舎に帰るとしても、若い内の少しの期間は、都会暮らしをさせてやりたい。そう思った。できれば、半年でも1年でも、東京で暮らさせてやりたい、ほろ苦い思い出になるかもしれないが、そうあればいいな、と思った。そう思うんだ、若い純朴そうな彼らを見ていると。
私が選ぶ「日本遺産」の4つ目、<JRローカル線の駅>、こういう理由による。
最後は、<梅干>にした。
食べ物に関しては、何人もの人が、<ごはん>、<みそ汁>、<豆腐>、<かつおだし>、<漬物>、<ハンバーグ>、から、私にとっては論外の<銀座「久兵衛」の寿司>まで挙げている。<梅干>についても、津野海太郎が、<顔面筋がひきつるほどの酸っぱい単純素朴な梅干がなかなか手に入らない>として、<むかしふうの梅干>を推している。
だが、私は、津野よりはもっと単純、それほど酸っぱくなくてもいい。それほど高級でなくともいい。あまり固くなくて、柔らかい梅干ならば、それでいい。日の丸弁当、とまでは言わないが、梅干は、日本というものを考える時、外せない要素のひとつではないか。私は、そう思うのだが。だから、私の「日本遺産ベスト5」、最後は、梅干だ。
「日本遺産」の補遺、世の為には、何の役にも立たないことに、長々とお付きあいをさせてしまった。これで終わりとする。
向井万起男の言葉を借りれば、「皆さん、こんな碌でもないことに付きあわせて、ゴメンナサイね」だ。