やまとめぐり(18) 明日香村。

大和八木近くの暮れ泥む今井町から長谷寺まで、短い「やまとめぐり」終わる。
奈良盆地の東南部にあたる橿原市、桜井市、そして明日香村の狭い範囲、大和王朝の地、古い大和の地を巡った。
たまたまであるが、橿原神宮では、神武天皇二千六百年記念の国家安寧祈願祭に行きあった。安倍文殊院では、ウォーナーさんの日、ラングトン・ウォーナーの報恩法要に行きあった。長谷寺では、本堂内陣へ入ることができる特別拝観ができた。今までそのお顔を拝むのみであった十一面観音の御み足に触れて祈った。
橿原神宮でその儀式のことを訊ねた神職は、「次の節目は神武天皇二千七百年です。つまり100年に一度です」、と言っていた。100年に一度か、確かにそうではあるのであろうが、少し大げさだなとも思った。しかし、儀式を終えた100人を超える白い装束の神職が内拝殿から出てきた時には、その非日常世界に酔いしれた。
橿原神宮の神武天皇崩御の日の祈願祭の100年に一度には及ばないが、年に一度の安倍文殊院でのラングトン・ウォーナーの命日である法要に行きあたったのも不思議な縁を感じた。
長谷寺の特別拝観は、毎年春秋に行われている模様ではあるが、行きあったのは初めてであった。
いずれも感慨深い。
が、そうではあるが、私はこの地に来ると社寺でもなく、古墳でもなく、博物館でもない光景により惹かれる。
それは、明日香村の田畑である。
ところで、創刊60周年を迎えた「藝術新潮」、2010年1月号で「わたしが選ぶ日本遺産」、という大特集号を出した。物書き、絵描き、書家、写真家、学者、役者、・・・、当時気鋭の68人が「わたしが選ぶ日本遺産」を投票した。ひとり5点まで。私は、その集計を行なった。
票は分かれに分かれた。が、最高点を取った日本遺産は居酒屋であった。
その折り、藝術新潮からの依頼はないが、私自身の日本遺産を考えた。その折りのブログをコピペする。
<さまざまなことを考え、何にするか迷ったが、最終的に次の5つとする。
・<明日香村の田畑>。
・<広島原爆資料館>。
・<北斎の画業>。
・<JRローカル線の駅>。
・<梅干>。>
この5つを選んだ理由についてもその折り記している。ご用とお急ぎでないお方は、2010年1月のブログ「酔睡胡乱」をお読みいただけますれば幸い。
いずれにしろ、私が大好きな日本の光景ナンバー1は、明日香村の田畑なんだ。

明日香村、畑があり、向こうの方には低い山。

このようなところも。

田舎だ。

なんて言おうか。

田畑があり、家があり、向こうの方には山がある。
明日香村である、明日香である。

ネットが見える。ここは果樹を作っているのか。

高松塚古墳の円墳から明日香村の地を見る。

小さなトラクターが田を耕していた。
お百姓さんのいる明日香村がいい。

大和八木の駅であろうか、こういうものがあった。
飛鳥にしろ藤原京にしろ、世界遺産などにする必要があるのか。
明日香の地、私たち日本人の心の地として残っていてくれればそれでよし。
世界遺産なんて御免こうむりたい。私は、そう思う。


横審は、今場所での稀勢の里の横綱昇進の条件を14勝以上での優勝、としていた。日本相撲協会の審判部は、13勝以上での優勝ならば、としていた。
稀勢の里、昨日までで3敗した。今日も勝つには勝ったが、相撲には負けていた。
が、理事長の八角、こんなことを言っている。「千秋楽を見てから」、と。明日、2敗の日馬富士が敗れ、優勝決定戦となり、そこで稀勢の里が勝って優勝となれば、稀勢の里を横綱へ昇進させる、ということのようである。
とんでもない。
たとえそういう展開となっても、稀勢の里を横綱とするには無理があろう。日本相撲協会は稀勢の里に対し甘すぎる。
稀勢の里は強い力士である。しかし、ここ一番というところで勝てないのは何故なのか。私は、日本相撲協会の稀勢の里に対する甘やかしにあるのだと思う。
大関昇進の暗黙の了解は、直前3場所の勝ち星が33勝であることである。稀勢の里、2012年初場所、大関となった。それ以前、前年の11月場所までの3場所合計勝ち数は32勝。1勝足りない。が、稀勢の里は大関となった。
今、このような状況下、稀勢の里を横綱へ、という動きはある模様。
たとえ稀勢の里が優勝したとしても、12勝での優勝は見送られて何の文句もなし、と思っている。
協会、結果として稀勢の里をスポイルしてきた。これ以上、稀勢の里を甘やかすのはやめようよ。稀勢の里には、自らの力で綱を手繰り寄せてほしい。