「日本遺産」補遺(1) (建築家の眼)。

「日本遺産・ベスト10」は、2日間にわたり駆け足で見てきた。
しかし、折角「芸術新潮」が、68名もの人に問い合わせて、発表したものが、その過半の人たちが選んだものは、「ベスト10」には入っていない。つまり、1票しか入っていない。だが、これは惜しい。1票ということは、それだけユニーク、ということなんだから。また、「芸術新潮」を毎号読んでるなんてヒマ人は、日本人の3000人に1人しかいないんだから、暫く、「日本遺産」の補遺を短期連載する。もうすぐ相撲も始まるし、また、何か突発時があり、休むかもしれないが。
今日は、磯崎新と安藤忠雄、二人の建築家が選んだ「日本遺産」。
磯崎と安藤、年代は、磯崎の方が10年ばかり上だが、共に日本を代表する建築家。
お茶の水の古い”主婦の友”のビルを生かしながら、その上に新たな建物をつけた”お茶の水スクェア”(残念ながら、今では、”主婦の友”の手を離れ、日大の所有になってるが)を創ったのが、磯崎新。
若者でゴッタ返す表参道の同潤会アパートの跡に、”表参道ヒルズ”を創ったのが、安藤忠雄。なお、安藤は、このヒルズの一角に、古い同潤会アパートの一部を残している。
安藤忠雄は、こう書いている。<以外に思われる人も多いでしょうが、日本人が創ってきた建築空間について、その魅力を挙げるなら「壮大」の一言に尽きると考えています>、と。そして、次の5つを「日本遺産」として挙げている。
”三仏寺 投入堂”、”厳島神社”、”三十三間堂”、”東大寺”、仁徳天皇陵”、を。”三仏寺 投入堂”は、映像でタマに見る、鳥取県にある岩肌にへばり付いているお堂である。あとの4つは、たしかに、壮大といえば壮大なものだ。
対して磯崎新は、「すべては暗闇で行われる」と題し、こう書いている。<最初に完全なる闇の空間があり、そこに火が浮かびあがり、さらに火が動くことによってカミの動きを触発していく、そんなイメージではないかと思う>、と。そして、次の3つを「日本遺産」として挙げる。
”春日若宮おん祭 宵宮祭”、”東大寺のお水取り”、”熊野那智大社の火祭”、を。
この二人、”東大寺”という共通語がひとつだけある。しかし、東大寺大仏殿の、壮大な大伽藍をイメージしている安藤忠雄と、同じ東大寺ではあっても、修二会、お水取りのお松明をイメージしている磯崎新、その感覚は、全く違う。
私は、磯崎新に与する。
磯崎ついでに、ひとつだけつけ加える。人さまにとっては、つまらないことなんだが、私にとっては、大切なことなので。
50年近く前、新宿の百人町(今でいえば、歌舞伎町と新大久保の間ぐらいの所じゃないかな)に吉村益信のアトリエがあった。”新宿のホワイトハウス”と呼ばれていた。たしかに、白いペンキが塗られていた。当時、私は、結核の療養所に入っていたが、そこを抜け出し、ホワイトハウスに行った。恐いもの見たさ、ということもあった。
いた。今や、世界のアラカワ、と言われている荒川修作や、モヒカン刈りのギューちゃん・篠原有司男はじめネオ・ダダ・オルガナイザーの面々がたむろしていた。まだ若かった私は、少しビビッた。ネオ・ダダの連中から、ジロッ、ジロジロッて目で、迎えられたんだから。まあ、面白かったが。
そのネオ・ダダの連中の牙城・”新宿のホワイトハウス”を設計したのが、若き日の磯崎新なんだ。
それがどうした、と言われれば、そういうこと、というしかないが。いや、私と磯崎新の、接点ともいえぬ接点と。