久しぶりのゴールデン街。

晴れ。
学校に入った時からだから、もう50年近くの付き合いになる友と、久しぶりにゴールデン街で飲む。
私が、ゴールデン街に最も通っていたのは、40年前から30年前ぐらいの10年間。まだ一人者の頃は、夜な夜な安い店をはしごして歩いた。まえだ、比丘尼、ナナ、双葉、唯尼庵、次男坊、・・・、その頃のママ、ほとんど死んじゃった。まだ、残っている店もあるが、みな代替わりしている。そういや、その頃、よくケンカも売られたな、私は。どういうワケだったんだろうな。

表の都電通りから、ゴールデン街へ入る道。
昔は、と言っても50年ぐらい前だが、都電が走っていた頃は、ここはたしか、都電車庫の引き込み線があったところ。

いつの頃からか、こんな看板が掛かるようになったんだ。昔は、”ようこそ”なんてお愛想は言わなかったものな、ゴールデン街では。”ヨォッ”とか”オゥ”、とかしか言わない店が多かったもの。

年の暮れの6時すぎ、開いている店は、奥のラーメン屋を入れても、3軒だけか。十月は、開いてるな。

ほとんどの店が、カウンターだけのゴールデン街、カウンターの中も、コックピットなみ。
歌詠みであるK子さんは、会社務めを辞め、3〜4年前この店を開いた。
店の名の「十月」は、聞いたことはないが、おそらく、1917年10月のサンクトペテルブルグの蜂起、から付けたものだろう。幾つとは知らないが、そういう年代なんだ。
毎月届くメルマガには、その一カ月間に観た映画が、毎月30本近く記されている。映画館の中に住みたいくらいだそうだ。夏の頃、私が、このブログに書いた「台湾人生」も、K子さんのメルマガに、「この映画は、お薦め、ぜひ観にいって」、とあったので、東中野まで観に行ったものだ。
それはともかく、この店、1年半ぶりぐらいになるが、以前のボトルが出てくる。ボトルを置いておく棚は、ここに写っているだけ。そのどこかに並んでいたんだろう、1年半もの間。一体どれだけの客が来るんだ、もっといっぱい来なければいけないんじゃないか、と思う。1年半も行かなかった私が、とやかく言えるものではないが。

狭い店だが、いつも作家の小品展をやっている。今月は、犬飼三千子展。
犬飼さんの作品は、ここ10年ほど観ているが、平面ばかりでなく、立体もやれば、このような版画も創る。一体なにを考えてるんだ、彼女は、という人もいるが、その作風も変幻自在。2カ月前の作品と、同人の手になるものとは、とても思えない。
個展も含め、年に5〜6回、公の場で発表している。彼女も凄いが、そのご亭主もエライ人だな、きっと、と私は、思っている。本人にも、言っているいるのだが。
それはさておき、今回の版画の小品の中、鳥獣戯画のパロディー、とご当人がいう作品を3点、載せておこう。
これと次の2点は、木版リトグラフ。


これは、アルミ版を使ったドライポイント。

9時すぎ、帰る頃には、他の店の明かりもついていた。そりゃそうだ。ゴールデン街は、これからだものな。
しかし、私たちは、もう、真っすぐ帰る。
若い頃は、帰る時にも、ゴールデン街の中の幾つもの細い道、あちこちクネクネしながら帰ったものだが、今は、他の道などには立ち入らず、真っすぐ大通りの方へ歩く。ああ。