祝 KUSAMA。

晴れ。
今のニュースで知ったが、草間彌生が文化功労者に選ばれた。やっと貰ったか、と思った。
今さら、こんなもの、文化功労者になどしてくれなくてもいいのだが、してくれる、というのなら、それはそれで嬉しい。自分のことではないが、やはり。
長い間、世界に通用する日本の現代美術の作家は、二人のみ。草間彌生とオノ・ヨーコの二人のみだと思っている。
ニューヨークやロンドンのオークションで、億単位の、時には十億を超える価格で取引される、村上隆や奈良美智がいるじゃないか、との声もあろうが、それは違う。村上や奈良のことを否定はしないが、世界の中での存在感が違う。作品の値段が、その作家を位置付ける尺度のひとつであることも否定しないが、アートの本質とは、やはり違う。
やはり、今、世界に誇れる美術作家は、草間とオノのふたり、との思いが強い、私には。
ブルーやピンクやパープルの鬘を被った変なバアさん、あるいは、水玉模様の中で目をギロッとむいている変なバアさん、というイメージがある草間だが、なかなか凄いバアさんなんだ。「創造」、ということにかけては、天賦の才能を持っていた。若い頃から、その才能を発揮していた。傑出した美術家だ。
今年80歳の草間、1957年、28の時にアメリカに行った。
今、引っ張り出した2004年に国立近代美術館で行われた「永遠の現在」という草間彌生展(この大がかりな草間展は、その後1年に渉り全国を巡回した)のカタログには、その時のモノクロ写真が載っている。松本駅での送迎の写真が。駅頭、多くの人が信州の田舎からアメリカへ旅立つ草間を送っている。郷土の期待を担った旅立ちであったことが、よく解かる。
そのような時代でもあった。どのような分野であれ、外国、特にアメリカへ勝負に行くということは、一大壮挙、といった時代であった。ましてや、留学とかというのではなく、絵で勝負する、というのであれば。
その後、20年近くニューヨークに滞在するが、1960年代には、時折り草間の話題が日本へも伝えられた。「ニューヨークの前衛美術の女帝」、というのもあったが、「ニューヨークのセックス・スキャンダルの女王」、というのもあった、と思う。
60年代は、アメリカの前衛美術の全盛期で、なんでもありの時代であったが、特に、草間のハプニングは過激。なにしろ、素っ裸の男女を多く集め、その身体に絵の具を塗る、というハプニングの制作も多くやった。ニューヨークの警察には、顔馴染みであったんじゃないかな。
この時代、ハプニングばかりでなく、草間は、平面、そして、立体作品でも彼女独自の感性に溢れた作品を生みだしている。一貫して基本にある観念は、「増殖」、ということか、と私は思っているが。
その後は、「クサマトリックス」と称せられる水玉や網目模様の作品、そして、私の好きなカボチャの作品、部屋いっぱいにこれらが敷きつめられたり、延びていったり、と変幻自在、草間の世界をひたすら追ってきた。それを、世界に向かって発信してきた。現代日本を代表する美術作家になった。
国が文化功労者に選ぶのも当然。遅すぎたくらいだ。私は、そう思う。だから、嬉しい。
勿論のこと、私は、草間の作品など持ってはいない。だが、100円か200円のチープな草間グッズを幾つか持っている。それを載せておこう。

いつか、「草間彌生 わたし大好き」、という映画のオマケで貰ったピンバッジ。

私の机の前にピンで止めてある草間の絵ハガキ。この横顔、若い時の草間の顔と似ている。

たしか、六本木の森美術館での草間展の時に、数百円で買ったクッキーの紙の箱。カボチャだ。中を見たら、まだクッキーが2〜3個入っていた。
文化功労者がらみの物としては、やけにチープな物ばかりだが、長年、草間のことを気にかけてきた私の、「祝 草間」の気持ち。手前勝手な、慶びの表われのひとつだ。
なお、もう一人の現代日本を代表する作家である、と私が思っているオノ・ヨーコとは、草間は、驚くほど接点がない。
オノ・ヨーコは、草間より少し後に、最初の結婚相手である前衛作曲家・一柳慧と、ニューヨークに行っている。少なくとも5〜6年は、共に同じニューヨークで、前衛芸術活動をしていたにもかかわらずだ。
思うに、草間は、前衛美術の分野で暴れていたのに対し、オノは、美術のみでなく、音楽や舞踊など多方面を包含した”フルクサス”の連中との付き合いが主、ということだろうが、不思議だ。
きっと、才能溢れ、若い頃からその存在感も抜群のこの二人、お互いを認めていなかったんじゃないか。認めたくなかったんじゃないかな、おそらく。
あり得ることではあるが、長年、不思議に思っている。