ヨコハマトリエンナーレ2011(6)。

横浜美術館、1階出口近くには、ビッグネームが待っている。
オノ・ヨーコ作『迷路の中の電話』

何重かのアクリルの板で囲まれた中に電話機が見える。

一度に4〜5人ずつ、アクリルの迷路の中に入っていく。靴を脱ぎ、持ち物を横の棚に置き。
アレッ、電話が消えちゃった。

この2人のお嬢さんも。
3人に見えるが、左の2人は同じ人。ひとりは、鏡のようなアクリルに映っている像。アクリルの板、透明でもあるが、鏡のようにもなる。

暫くすると、先ほどのお嬢さん4人組、出てきた。
同じ色に染まらず、4人が4人個性的。さすが、横浜のお嬢さん。私が日常目にする千葉の娘さんでは、こうはいかない。4人組なら4人組、いかなるファッションであろうと、みな同じようなテイストの装いで連んでいることが多い。
オイ、お前、それがどうした。ヨコトリと関係あるのか。第一、オノ・ヨーコとどういう関係があるのだ、という声もあろう。しかし、そう言うな、大いにある。
今、日本の現代美術アーティストで、世界的なビッグネームは、草間彌生とオノ・ヨーコ。続く方々は何人もいるが、ビッグ2はこの二人。私は、そう思う。しかし、このお二人、そのファッションセンスがいただけない。
草間彌生は、あれはあれで、まあ、致し方ないが、オノ・ヨーコのファッションセンス、何とかならないか、と以前から思っている。日本が誇る世界のヨーコ・オノなんだから、もう少し何とか、と。
で、この横浜のお嬢さん方の、ファッションセンスの爪の垢を煎じて飲用していただきたいな、と思って。特に、左端と右端のお嬢さんの何でもない自然な感じを、と。世代がまるで違うので、同じものとは言わないが、その何気ないセンスを、と。世界のヨーコ・オノには。
先を急ぐ。

私の番となった。アクリルの迷路に突き当たったりしながら、中心部にたどり着いた。
電話機が置いてある。

そこには、こう書いてある。
暫く待ったが、電話は鳴らなかった。

外へ出ると、係りの人、こう言う。
1日に3回ぐらいかかってくることもあるのですが、と。そして、あそこの柱のところの紙を見てください、と。
3枚の紙が貼ってある。左端には、こういう紙。

真ん中には、日本語で書いたこういう紙。

右端には、こういう紙。
それにしても、小野洋子のペン書きの文字、英文であれ、日文であれ、上手い。
それはともあれ、アクリルの中に入り、電話機のところに行った時、デジャビュを感じた。これは、見たことがあるぞ、という既視感にとらわれた。
帰宅後、過去の図録を探した。あった。8年前、2003年に水戸芸術館現代美術ギャラリーで催された「YES オノ・ヨーコ展」の図録が出てきた。
この展覧会、2000年にニューヨークで催されて以来各地を廻り、2003年の秋、水戸で開かれた。以後、日本でも5カ所を1年かけて巡回したもの。ヨーコ・オノの足跡を辿る画期的な回顧展であった。
図録によれば、この電話機の作品、ヨーコ・オノは、2003年にも造っている。1997年にも造っている。ただ、前2回のタイトルは、『TELEPHONE PIECE』。今回のタイトルは、『TELEPHONE IN MAZE(迷路の中の電話)』。
しかし、アクリル板の迷路を作ったし、紙にも、2011年夏、と書かれている。これは、紛れもなくこの夏の作品だ。
ヨーコ・オノの電話機、5年後にも現れるかも知れない。何らかの装いをこらし。それは許される。ビッグネーム、ヨーコ・オノであるが故。
水戸芸術館の図録には、こんな言葉が刷り込まれている。
     ひとりで夢みる夢は
     ただの夢
     いっしょに夢みる夢は
     現実となる
          オノ・ヨーコ
ジョン・レノンとの間もそうであったように、小野洋子の心のおもむくところ、他者との繋がり。電話機も、その一方策。そう言えまいか。