維新。

雨。
就任後初の所信表明、鳩山はえらく長い演説をした。
通常2〜30分であったこれまでの所信表明演説に較べ、1.5〜2倍の52分、文字数は、13000語だという。
戦後行政の大掃除、ということだが、国民への訴えかけ、ということに力点をおいたのであろう。初の所信表明としては、今回は、大まかな考え方を示そう、としたのだろう。熱は入っている感じだったが、今ひとつ強さ、という感じは受けなかった。友愛(その本来の意味するところはこれこれ、ということは、解かるが)なんて言葉が入るせいで、ややたおやかな感じになる。まあ鳩山、この言葉は、今後も引っ込めることはないだろうが。
「経済合理性の追求から、人間のための経済へ」、ということも、少し深く考えれば、自由主義経済体制の下、ドラスティックな思考転換とも思えるが、これも鳩山流の友愛政治、ということなのだろう。抽象的な言い方だが。
それ故、谷垣禎一が、「冗長で感傷的、ビジョンなし」、とこき下ろすのも当然だが、そう言われても仕方ない面もあろう。
そうは言っても、谷垣は、心配するほど迫力がないな。この後、議場の民主党議員の反応について、「ヒットラーの演説を聞くヒットラー・ユーゲントのようだ」、と言っていたが、野党党首としての迫力がないばかりか、ズレている。ヒットラー・ユーゲントのことなど、谷垣だって後追いでしか知らないだろう。ピンとくるのは、70代後半以降のジイさん、バアさんぐらい。後期高齢者だけだ。このような比喩を持ってくるのを見ても、野党第一党の党首としては、失格だ。
鳩山邦夫のこき下ろし、「少女マンガのようなもの。字引きからきれいな言葉を並べただけ」、という批判の方が、一般性がある。少なくとも、多くの有権者にストレートに届く。言葉は軽いが。
それにしても、各局何度か出てきた、自民党席の面々、顔を歪めた麻生、マスク姿の安倍はじめ、森、伊吹、町村その他の親分衆、みな揃いも揃って、腑抜けたような顔をしていた。ボーとした。そんなことでどうする、と言いたいところだが、自民の為には、これらの親分衆の面々すべてに、引退してもらうのが一番いい。
2〜3年後、最長でも、3年10ヵ月後には、次の衆院選がある。今回は大負けしたが、次回の選挙では、政権奪回のチャンスはある。小沢がいかに選挙強いとはいっても、民主政権が行き詰まる可能性は、大いにある。敵失による勝利の可能性、案外高いんじゃないか。
今までのシステムを変える、思考回路を変える、つまり、実験をやろうとしている政権なんだから、民主の政権は。そして、実験には、失敗がつきものなんだから。
自民の面々は、そのことを考えなきゃ。その為には、腑抜けたような今までの親分衆は、総退陣させ、党首も変えることが一番。そうでなければ、折角の政権奪取の機会が訪れた時にも、それを逃がすことになる。自民も実験政党になることが肝要だ。
二大政党制というが、本来は、二大実験政党制、ということだろう。国の為には。
3週間ほど前、このブログで、「無血革命」、という言葉を書いた。先般の選挙で国民は、そうとは思わないまでも、知らず知らずに革命に加担していたんじゃないか、血は流れないが革命に、と。
今日、鳩山は、「無血の平成維新」、という言葉を発していた。やはり、と思ったな。
明治維新では、多くの血が流された。昭和11年の昭和維新では、蔵相・高橋是清、内大臣・斎藤實ばかりでなく、決起軍の青年将校、叛乱罪に問われ、死刑に処せられた者も多くいる。さらに、警備の巡査等一般人の血も多く流された。革命といい、維新といい、、流血はつきものなんだ。
確かに少し大袈裟だが、鳩山のいう「無血の平成維新」、当たっていないことはない。まあ、いいじゃないか。
いい年をして、革命とか、維新とかの言葉が好きなんだ、私は。