無血革命。

雨。
長く続いた自公政権があまりにもひどいので、ここらで一遍変えてみよう、と多くの国民が思った。軽い気持ちとは言わないが、そう深くは考えず。案の定、民主は大勝し、新政権ができた。
新政権の各大臣、矢継ぎ早に行動を起こした。あれは止める、これはやる、と。中には、亀井の「借金猶予の徳政令」のように、それは少しどうかな、と思われるものもあるが、各大臣バンバンやっている。
前原など、あれほど低姿勢にならなきゃいけないのか、と思われるほど八ッ葉で頭を下げ、翌日には、JALの社長を呼びつけ再建への尻を叩き、その何日か後には、普天間に飛んでいる。まだ若いとはいいながら、身体、気をつけてくれ、と言いたくなる。しかし、やはり目につくのは、各大臣、中止、見直しの類。
その内、新政権のやっていること、削ることばかりやっているんじゃないか、と思うようになった。まずは不要のものを削って、その分、新規優先順位の高いものへ、ということは解かっているのだが、削りっこばかり、というのが、何となくどうもな、と思うようになった。解かってはいながら。
人間は、勝手なもので、増やすのはプラスイメージであるが、削ったり減らしたりするのは、マイナスイメージ、威勢がよくない。ハハ、勝手なものだ。
しかし、またその内、テレビに映る仙谷や長妻や前原などの各大臣の顔を見ているうちに、こう考えるようになった。彼らの顔、締まっている。気合いが入っている。本気でこの国の立て直し、再構築をやっているんだ、という意気ごみが感じられる。
大多数の国民は、そう深く考えず、ここらで一度、と票を投じたのだが、案外それは、革命に一票、ということだったのかもしれない。知らないうちに、無血革命に加担していたんじゃないか。補正の見直しだけでも、2兆となり、2.5兆となり、さらに、まだ上積みを探る、ということでは。今までのやりようと、ガラッと変えようと言うんだから。やはり、革命の一種ではあろう。
革命と言っても、もちろん、産業革命やIT革命、少し古いが宗教革命などとは、まったく別次元のものであるし、フランス革命やロシア革命、キューバ革命、イランの革命、新しいところでは共産党支配を倒した東ヨーロッパの革命とも、較べようもない小さなものであるが。旧体制、古い思考を変える、という意味では革命だ、と言えるんじゃないか。
日本では、明治維新がやはり革命であったろう。旧体制・幕藩体制を倒し、王政復古を成しとげた維新が。そんなものとは、まったく違う、なに言ってるんだ大袈裟な、ということは重々承知ではあるが、革命の響き、久々になんとなくカッコいいじゃないか。
何より、ほとんどの革命には、大量の血が流れるのが常道であるが、今回の小さな革命は、無血の革命なのもいいんじゃないか。
ワットやビル・ゲイツやマルチン・ルター、また、ロベスピエールやレーニンやカストロやホメイニ、さらに、西郷隆盛や大久保利通、といった歴史に残るハデな名前は、おそらく誰もいないが。
もういい、レベルが違う、と言われそうなので、このへんで止めることにするが、知らない間に多くの国民が加担した、小さな無血革命である、とは言えよう。成功するか、失敗するかは、別にして。