枷を嵌める。

薄日。
夜、出先から戻ってきたら、驚いた。オバマが、ノーベル平和賞を受賞した、という。何故だ、と思った。
あのプラハでの、「核兵器を使用した唯一の国として・・・」、の核廃絶演説が、主要な理由らしい。ニュースでは、実績よりも期待、と報じられている。
しかし、私は、こう思った。オバマは、枷を嵌められたな、と。「お前は、こう言ったんだから、もう逃げることはできないぞ。超大国・アメリカの大統領が言ったんだから、キチンと約束を果たせ」、との枷を。
BSニュースからの映像を、幾つか載せてみよう。手がブレて、ボケているものもあるが。ノーベル賞の選考委員会が、何を基準に選んだのか、そして、オバマは、何を言ったり、したりしたのか、キーを打つよりそのほうが早いので。

ノルウェー、オスロでのノーベル賞選考委員会の発表。日本時間、6時過ぎだったという。

都心部では、こういう号外が出たそうだ。
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これが、後世に残る、プラハでの演説。ノーベル賞選考委員会が、最も重視したものだろう。

この写真、前の映像のゴーストが写っている。テレビ画面を撮ると、こういうこともあるんだ。演説とは、関係のないことだが、面白いので、載せておく。
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国連、安保理で議長を務め、核廃絶を目指すという決議、15カ国の挙手を求めた時のオバマ。後ろに控えるヒラリーと、何という名だったか思い出さないがヒスパニック系のアメリカの国連大使は、やけに厳しい顔をしている。


ノーベル賞選考委員会の発表があったのは、アメリカでは、東部時間の未明。ニューヨーク・タイムズの電子版は、どう扱っているのかな、と思い、見てみたら、もちろんトップではあるが、東部時間9時過ぎのものでは、こういう扱い。見出しは、「ビックリした。外交手腕、駆け引きのうまさで、オバマがノーベル平和賞をとった」、とでもいうことだろう。

ロシアのメドベージェフとの会談。メドベージェフは、プーチンから、オバマには丸めこまれるな、と常に言われているだろう。核廃絶の道、平坦ではないんだ。

ブレもいいところだが、イスラエルのネタニヤフとパレスチナのアッバスをホワイトハウスに呼んで、和平を探った時のオバマ。強硬なネタニヤフ、パレスチナの問題も進展はない。

核なき世界は、ロシアや英仏、中国の問題ばかりじゃない。このインドのシンとも話さないとならない。インドとパキスタンには、ブッシュが「よかろう」、と言ってしまったんだから。核保有のダブルスタンダードを、ブッシュは作ってしまった。さらに、これはブッシュ以前からの暗黙の了解だが、イスラエルも大量に持っているし。

核問題ばかりじゃない。医療保険制度、失業問題、経済規制の問題、米国内でのオバマ、反対勢力は多い。支持率も落ちている。

この映像、アフガンであろう。アフガンもオバマは、やると言っているが、難しい。アメリカ人でさえ、疑問に思う人が増えている。だんだん泥沼にはまる恐れあり、と私は思う。
カルザイは、オバマ受賞の知らせを聞いて、「このノーベル賞受賞が、我が国のために尽してくれるオバマ大統領の、米国内での立場を強めてくれることを願う」、と言ったそうだが。

大統領に就任した時のものか、あるいは、去年、民主党大会で、大統領候補に選出された時のものか、解からないが、いい映像だな。影が長く延びて。芭蕉なら、この映像を見て、なんと詠む、と考える。
すべてはここから始まった。それにしても、オバマの二人の女の子は可愛いな、ホントに。ノーベル賞とは、直接の関係はないが。

オバマの道も、ここから始まった。マーチン・ルーサー・キング・ジュニアだ。モノクロの時代だ。長いとも言えるし、短いとも言える。その後裔が、今、世界を動かしている。

0時過ぎから行われた、オバマの、受賞を聞いたあとの演説。「私の実績に対してのもの、とは思っていない」、との謙虚な演説。今、厳しい状況、立ち向かっていく、との謙虚でありつつ、リーダーとしての責任感をにじませていた。
オバマについては、このブログでも何度か触れた。半月ほど前の9月24日の「枠組みを変える」では、その忙しさ、奮闘ぶりを、8月6日の広島の日には、広島市長・秋葉の”オバマジョリティー”なる言葉に、オバマのプラハでの言葉を軽くする、と文句をつけた。
また、7月26日の「思うこと」では、天皇、皇后お二人のハワイ訪問に関し、オバマが広島、長崎へ来る時の条件を記した。
それらのことごと、何ひとつ成ってはいない。だから、オバマの受賞、どうしてか、と訝った。多くの人は、オバマへの期待だと言っている。だが、何ひとつ成ってない。核もパレスチナもリセッションも。オバマのビジョンへの後押しなんだ、ノーベル賞は。それはそれで、意味がある。
だが、私はやはり、オバマは枷を嵌められたな、と思う。