連日の受賞、こんなことあっていいのかな。

昨日も記したが、ノーベル賞というもの2、3年に一度貰うのがほどいいバランスではないか、と思っている。
が、また取った。

7時前、NHKのニュースを見ようとしたら、こういう画面が現われた。
なんと日本の学者、昨日に続き今日もノーベル賞を取った。今日は物理学賞。

東大宇宙線研究所所長の梶田隆章先生だ。
凄い。誇らしい。日本人すべて、急に頭が良くなったような気がしてきたんじゃないか。
しかし、こんなことあっていいのかな、少し取りすぎではないか、との思いも湧きあがる。1990年代のようにノーベル賞をまったく取れない時代は来てほしくない。そのためには、候補者をストックしておくことが必要ではないか、との思いも。
贅沢な思いであることは、重々承知であるが。

梶田隆章先生の成果、こういうものらしい。

ストックホルムでは、こう発表されている。

記者会見に臨んだ梶田隆章先生、こう語る。
「まあ、いい言葉で言えば、人類の知の地平線を拡大するようなもの」、と。
何億人もの人を救った昨日の大村先生の研究とは異なり、すぐに我々の生活に反映するというものではない。湯川秀樹以来、日本が得意としている素粒子物理学の領域である。
”人類の知の地平線を拡大するようなもの”、という文学的な表現もいい。何やらよくは解からないが、知の地平線を拡大するんだ。面白い。

梶田先生の出身大学である埼玉大学の学長、こう語る。
昨日の大村先生は、山梨大学の出身であった。埼玉大学とか山梨大学とか、東大や京大でないところが面白いじゃないか。

梶田先生のお母さんも嬉しそうだ。
梶田先生、「子供の頃から、博士になるんだ」、と話していたそうだ。

ニュートリノの観測施設。

岐阜県飛騨のスーパーカミオカンデ。

赤ばかりじゃなくこういう青っぽい映像も。
2002年の小柴昌俊先生のノーベル物理学賞受賞以来、日本ではニュートリノやスーパーカミオカンデはよく知られるようになた。その何たるかは、解からないながらも。
そのイメージも膨らむ。
私の場合は、草間彌生に繋がっていく。

小柴博士がノーベル賞を受賞した2年後、2004年に六本木ヒルズの森美術館で、草間彌生の「クサマトリックス展」が催された。
その折りの図録に、草間彌生、こう記す。
<この宇宙の果てまで続く星の億万のたたずまい。私は星の一つに還元して、・・・・・>、と。
その折りの図録を複写する。

ニュートリノ、宇宙から厖大な数が飛来しているらしい。
それが私たちの身体を通り抜けているそうだ。目には見えない。

まさに「クサマトリックス」の世界。

スーパーカミオカンデ、赤ばかりじゃなく青い映像も。草間彌生のこのような。

草間彌生のスーパーカミオカンデ。
狂気に近づく天才・草間彌生、素粒子物理学の領域に踏みこんでいる。

さて、ノーベル賞受賞から一夜明けての大村智先生である。

朝、自宅前に詰めかけた報道陣にこう語る。

昨夜の映像も流れる。
大学を出、定時制の工業高校の教師をやっていた頃のこと。
近辺の工場で働いている生徒が仕事を終わって学校へ駆けつける。勉強をしようと。その姿を見て、自分はもっと勉強をしなければいけない、と思った、と。
それが、研究者になる原点であった、と語る。

長年、共同研究をしてきた学者、こぅ語る。
小さいビニール袋を持って、と。
今日、小さなビニール袋と16年前に亡くなった大村先生の奥さんの写真、何度も何度も出てきた。

大村先生のお姉さん、こう語る。
「やんちゃだった。”智ちゃんがまたけんかしている”、と知らされて飛んでいくと」、こういう状況だったそうだ。ベルトを外して振りまわすなんてこと、喧嘩馴れしている連中の常套手段だったんだが、後のノーベル賞学者、そういう人だったんだ。面白い。愉快じゃないか。

のべ10億人以上の人に無償提供してきたそうだ。
凄い人である。
私たちは、どれだけ頭を下げればいいんだろう。

大村先生、今後に伝えたいことは、と問われ、こう答える。

梶田隆章先生は、こう語っている。
2000年以降、日本のノーベル賞受賞者、目に見えて多くなっている。だが、今後が心配、との声が多い。
どういうことか。
研究環境の問題である。
今の日本の研究者、短時日で結果を求められる、という。これじゃ腰を据えた研究はできない。心配だ。
2020年代、日本のノーベル賞学者はいるやいないや、心配である。私は、この世からはおさらば、おそらくいなくなっているであろうが。
明日は、ノーベル化学賞の発表がある。
ダブルじゃなくトリプルなんて、そんなこと考えちゃいけないんだが。