オバマの賭け。

晴れ。
この2〜3カ月、ズッとオバマは考えていた。そして、今日、アフガニスタンへの米軍3万人の増派に踏みきった。
米国東部時間だと昨日夜、オバマは、ウエストポイントの陸軍士官学校で演説した。オバマのアフガン新戦略。
来年前半までに、3万増派、これで、アフガンの米軍は、10万となる。同盟国にも、増派等の貢献を求める。カルザイ政権の汚職追放を支援。米軍は、2011年7月から撤退開始。等々。
オバマは、引くに引けない”オバマの戦争”に打って出た。常のように、自信に満ちた口調で、冷静さを装ってはいるが、オバマは、賭けに出た。
オバマは、アメリカ以外のアフガン派兵国にも、1万人の増派を求めた。NATOの事務総長は、5000人の増派を表明した。イギリス、イタリアは、さらなる増派を口にしたが、フランス、ドイツは、支持はするが、具体的な増派までは踏み込まなかった。
先月、5年で50億ドルの支援を表明した日本にも、さらなる増額をとの打診もあるらしい。
なにしろ、アメリカのアフガンでの戦費、1年間に300億ドルかかるそうだ。足元のアメリカ国民が、アフガンへの深入りに疑いを持ってきている。アフガンでのアメリカ兵の戦死者も900人を数える。おそらく、今後、どんどん増えるだろう。アフガンは、第二のベトナム戦争、という思いを持つアメリカ人も増えてきている。
オバマの支持率が、どんどん落ちてきていることにも、それは窺える。医療保険制度の問題もあるが、アフガンの問題も大きな要因であるに違いない。
対テロ戦ということでは、アメリカのみならず、世界中、その認識を共有している。しかし、半月ほど前にも、アフガン駐在のアメリカ大使が、カルザイ政権は汚職まみれでヒドイ状況、との報告を本国へ送っていたように、肝心のカルザイ政権自体が、頼りにならない。
それ以上に、ニュース映像で見る限り、アフガンの国民自体が、もうアメリカ軍は来てほしくない、と思っている映像が多い。今日の映像でも、アメリカ国内の映像でも、そういう場面があった。なにか、ベトナム戦争の時を思わせる。
オバマの演説のすぐ後、タリバンは、メディアに向けた声明を出した。米軍の増派は、タリバンの決意を一層強める、との。また、それとは対極の共和党のマケインは、オバマの撤退開始時期の明示への懸念を示した。
当然だと思う。2年後の撤退なんて、できっこない。ベトナムではジャングル戦であったが、アフガンでは山岳戦となる。イラクのような砂漠での戦いとは、まったく異なる。超近代兵器よりも、一時代前の兵器が有効となる戦いであろう。
米軍兵士の死者は、日を追って増える。おそらく、アメリカ国内のアメリカ人が、耐えきれなくなるだろう。ベトナム戦以外、戦争で負けたことがないアメリカは、戦死者の数に関しては、とても敏感である。厭戦気分が、より強くなるに違いない。
それよりも、アフガンでの戦いは、必ずパキスタンに飛び火する。パキスタンは、何のかのと言っても、アルカイダの聖域。パキスタンが不安定化し、終始がつかなくなる恐れがある。
何といっても、パキスタンは、ブッシュがダブルスタンダードを認めた核保有国。第3世界の核ほど、危ないものはない。ヘタをすると、その核もどうなるか解からない。
よりヘタをすると、誰も言わないことだが、第三次世界大戦の火種になるかもしれない。こんどの世界大戦は、先進国同士の戦いではなく、文明間の戦いとなるかもしれない。西欧世界とイスラム世界との。
私自身、バカげたことを考えてるな、とは思う。が、少し大袈裟にいうと、そういうこともあり得る、とも思う。
聡明なるオバマ、私のようなバカなことは考えてはいないだろう。だが、オバマは、賭けに出た。出口不明瞭な賭けに。
オバマが、ウエストポイントでアフガンに関する演説をしたすぐ後、アフガンにも関係の深い、平山郁夫が亡くなった。
薬師寺では、平山の大唐西域壁画の前で、法要が営まれたという。平山の絵は、私の好みの範疇からは、少し異なるものであったが、ともかく、凄い人だった。
東京芸大の学長や、文化勲章、レジオン・ドヌール勲章等々、この世の名誉を数々受けているが、それよりも、アフガンも含め、シルクロードの地に100回以上行った人だった。これは、凄い。
ユーラシアの文化財の保護には、殊のほか、力を入れていた。アンコール、敦煌の莫高窟、バーミヤン、北朝鮮の高句麗古墳群の世界遺産登録にも影響力を発揮した。
ともかく、ユネスコの親善大使というのもやっていたが、それよりも、時の政府の文化政策決定には、隠然たる力を持っていた印象がある。どの政権に変わろうと、文化とか、遺産とかの問題になると、必ず平山が出てきた。
アフガンのタリバンによって、バーミヤンの大仏が爆破されたのは、2001年だった。白煙の中、タリバン兵士の「アッラー・アクバル」という大音声は、今でもよく覚えている。
その翌年だか翌々年だったか、ユネスコの調査団が、バーミヤンに行き破壊された石窟を調べた。その模様を映した特別番組がNHKで放映された。欧米の研究者にまじり平山も参加していたが、たしかその時、平山は、破壊された大仏を復元するのではなく、このままの状態で保存するのがいい、と言っていたような記憶がある。
また、7〜8年前か、あるいは10年ほど前になるか、上野の芸大の美術館で、平山郁夫コレクション展という展覧会が開かれた。それを観た私は、ビックリした。凄いものが展示されていた。
平山が各地で購入したものや、贈られたもの、という説明があったが、ガンダーラ仏や何にしろ、個人のコレクションとは思えぬものばかりだった。贈られたものは、まだ解かる。大先生だから。だが、購入したものとしても、こんなものどうして持ち出すことができたんだ、というものばかり。
今は、第三世界のどのような国であれ、古美術品の国外持ち出しは、非常に厳しい。シルクロードの国々には、100回以上も行っている平山のこと、まだ大らかな時代に持ち帰ったものか、とも思ったが、いや、平山郁夫の名前であったればこそだな、とも思った。
凄い絵描きは、さまざまいるが、それプラス凄い影響力を持った人というのは、平山郁夫をを措いて、他にいないんじゃなかったか。
オバマから平山郁夫に移ったので、今日は長くなってしまった。