ベルリンのオバマ。

今日のサッカー・コンフェデ杯の対イタリア戦、こう思っていた。また3点ぐらいは取られるだろうが、日本も1点ぐらいは取るのじゃないか、と。
すると、どうしたことか4点は取られたが、日本は3点も取ってしまった。本田、香川、岡崎の3発。取るべき名前が揃って決めた。4対3、惜敗ではあるが、負けは負けである。しかし、世界屈指のゴールキーパー・イタリアのブフォンはこう言っている。「こんなにシュートを打たれたのは初めてだ」、と。日本、イタリアを凌駕するシュートを浴びせた。
負けは負けだが、愉快じゃないか。
ところで、5〜6日前、何らかのはずみでパソコンへ取りこめなくなったデジカメ写真、昨夜半、取りこめるようになった。
実は、メーカーのサポートセンターへ助けを求めたが、様々な確認操作をした後、「ハードには問題はありません。写真を取りこむソフトの問題でしょう」、との返事。「ああ、そうですか」、と電話を切ってしまったが、じゃあ、どうすんだ、という問題が残った。デジカメメーカーのサポートセンターへ聞く、ということかなー、と考えていた。
と、昨日の夜中、ふと思いついた。デジカメが出てきた初期には、デジカメ写真をパソコンへ取りこむのにカメラを直接パソコンへ繋いでいたじゃないか、と。いつの間にか、そんなことは必要なくなり、カードを差しこむだけで写真が取りこめるようになった。人間、時代と共に横着になり、手軽なことに慣れてしまうんだ。
デジカメ写真の取りこみも原点に帰れば、と思いやってみたら、ザッツ・オーライ、取りこめた。やや手間暇がかかり面倒ではあるが、取りこむことはできる。
根本的な解決は、おいおい考えるとして、差しあたりはこれでいくこととする。
昨日夜のNHKBSの海外ニュースに、バラク・オバマのベルリンでの演説が流れた。

NHKBS1の夜10時からのワールドニュース、10時35分ぐらいにこういう画面が流れた。
ベルリンのブランデンブルク門の前で、バラク・オバマが戦略核削減の演説をするという。
ブランデンブルク門の前のパリ広場、さほど広い広場じゃない。広場と言われればそうかな、と思えるほどの広場である。しかし、ブランデンブルク門の前で演説をすることは、大きな意味を持つ。
ブランデンブルク門、東西冷戦時代は、東西ベルリンを隔てる象徴であった。
1987年、アメリカ大統領・ロナルド・レーガンは、西ベルリン、ブランデンブルク門の向こう側から演説をした。それ以前、丁度50年前の6月26日、ジョン・F・ケネディーは、今に残る「私はベルリン市民であることを誇りを持って言うことができる」、という名演説を行った。
昨夜のバラク・オバマ、50年前のJFKの再現を考えていたようである。

ブランデンブルク門、旧東ベルリンのウンター・デン・リンデンの上方から撮っている映像。
上方、旧西ベルリン側には、6月17日通りの先に、小さく普仏戦争その他の戦勝記念塔が見える。

オバマ、戦略核をさらに1/3削減しよう、とロシアに呼びかけたんだ。双方1550発から1000発程度に、と。
ロシアは反発する。
戦術核の問題があるんだ。アメリカ、対イランという名目で戦術核をヨーロッパに配備している。対イランではあるが、対ロシアでもある。ロシアから見れば。


数分後、NHKBS1の映像、ライブに切り替わった。
星条旗、ドイツ国旗、EUの旗が翻る。

バラク・オバマ、4年前にはプラハで、核廃絶の演説を行った。しかし、バラク・オバマ、今、逆風の中にもある。
CIAの元職員・エドワード・スノーデンによる暴露。スノーデン、NSA(米国家安全保障局)による個人情報収集を暴露した。4年前の”Yes We Can”をもじり、”Yes We Scan(監視してるよ)”、と揶揄されてもいる。
そういう状況下、ベルリンでのオバマの演説は行われた。核大国である米露の戦略核をさらに1/3削減しよう、というロシアへの提案、すんなりとはいかない。ロシア、ヨーロッパへ配備されたアメリカの戦術核で、ロシアの主要部がすっぽりと覆われているのだから。
それよりも、核兵器に関しては、中国の存在が外せない。
現在、中国が保有する戦略核は約250発。しかし、中国は年々戦略核の数を増やしている。何時になるかは知らないが、いずれ中国の戦略核が米露に追いつくことになろう。
その時にどうするんだ。
バラク・オバマ、その時を考えることが必要であろう。