茂野柰園 書道パフォーマンス。

「令和の初春」と題した書家・茂野柰園の初春パフォーマンス、一昨日、流山の一茶双樹記念館で行われた。
私のブログ、写真を載せることが多い。実は、その写真サイズの圧縮と取りこみに最も時間がかかっている。それに合わせて文言を記しているので、こちらの方は気楽である。
思いつくままキーを打っている。だから、時折りは間違ったことやヤバイことも打ってしまう。が、ここ数年はそんなことはどうってことない、と考えている。文字通りの雑録であるこの「流山子雑録」、世の中に何の影響力も持っていないのだから。
今日、イランではトランプの指示により暗殺されたスレイマニの棺を囲み「アメリカに死を」との声をあげている。しかし、まだ具体的な行動は起こしていない。彼我の軍事力の差を考えたら短兵急には行動を起こせない。
一昨々日の4日、私は、ワシントンにデューク東郷クラスのスナイパーを送りこめ、と記した。今日、イランはアメリカ国防総省をテロ組織として認定したそうだがそれは違う。国防総省ではなくアメリカ政府、就中トランプを認定しなきゃ。ミサイルよりもマシンガンだよ。逆張りを考えなきゃ。
今日、今年初の病院へ行く日であった。負荷心電図という検査を受けた。左胸、心臓の周りに10本の線を貼りつけて、自転車のようなものを漕ぐ検査。すぐに疲れてしまった。正常な検査結果は取れたのか。医者との面談は来週。そのことはどうでもいいのであるが、その後、4時頃から少し飲んでいた。
何のかげんかどうしてなのか憶えがないが、飲みながらスマホを見ている内に、森巣博が出てきた。森巣博の書、とても面白い。昔、幾つも読んだ。その森巣博の名、久しぶりであった。手繰っていくと、20年ほど前、ドナルド・トランプのカジノで、トランプに大損を与えた日本のギャンブラーが惨殺された、とのことが出てきた。トランプのような悪はいない、との。そうだと思う。今日はイランばかりじゃなく、イラクも脅している。
さいとう・たかを先生、頼みますよ。デューク東郷、ドナルド・トランプの頭を撃ち抜くことを。トランプのどや顔を見る度に気持ちが悪くなる人間が多いのだから。
ところで今日、どうしてこのようなことを記しているのかである。
実は一昨日、写真サイズの圧縮ができなくなってしまった。昨日も。それまで使っていたアプリが反応しない。理由は分からない。
仕方ないので、今日、別の方式を試みた。何とか圧縮できた。が、時間がかかった。ずいぶん、と。
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この内側が、一茶双樹記念館。
何とも味わいがある。
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一茶双樹記念館については、今までに何度も触れている。小林一茶と秋元双樹の交流について。
流山の醸造家・秋元三左衛門(俳号・双樹)のもとに、小林一茶は50回以上も訪れている。
「みせ」の茂野柰園の書・「賀正」。
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既に、茂野柰園のパフォーマンスは進んでいる。
実は一昨日、私は出かける前に腹具合がおかしくなってしまった。
何度もトイレの前を離れることができず、出かけるのが遅れた。
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私が着いた時には、茂野柰園のパフォーマンス中半以上終わっていた。幾つもの字が書かれていた。
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これは、「鼠」であろう。
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男が何やら板のようなものを持ってきた。
後で知ったのだが、この人、益子の陶芸家であった。八角の素焼きの陶板を持ってきたんだ。
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茂野柰園、その素焼きの陶板に秋元双樹と小林一茶の連句を書く。
鉄赤、鉄釉で。
焼きあがると、黒くなるそうだ。
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仁、義、禮、智、忠、信、・・・、茂野柰園、鉄釉で書く。
後にその意味合いが分かった。
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茂野柰園が指さしているのは呉須。
呉須で書く。
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「壽」という字を。
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秋元双樹の「樹」という字。
「大きく書きましょうかね」、と茂野柰園は言う。
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益子の陶芸家がそれを掲げる。
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陶板、次はやや深いもの。
茂野柰園、「舞」と書いた。
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素焼きの陶板に書かれた文字。
3月に登り窯で焼き上げられるそうである。
益子の陶芸家とその後、少し話した。
登り窯に火を入れるのは、年に2度ほどだそうだ。
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双樹亭、益子の陶芸家の作品も並ぶ。
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双樹亭。
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先ほど茂野柰園が揮毫した「壽」の大皿が置かれる。
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「舞」の大皿も。
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双樹亭の床の間。
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干支と鼠の字。
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秋元双樹と小林一茶の連句。
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このような。
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こう・・・
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そして、こう。
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「仁、義、禮、智、忠、信、・・・」、南総里見八犬伝であった。
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後ろは茂野柰園による蕗谷虹児、手前は益子の陶芸家・冨野博司の作品。
益子の作家・冨野博司と少し話した。
50までサラリーマンをしていたと言う。
その後、益子へ行き、何年か弟子入り、その後、独立したとのこと。70代半ばであるが、とてもパワフルな作家であった。
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昨年は孫たちのことを書いてもらったが、今年は一茶の句を書いてもらった。
目出度さも ちう位也 おらが春、と。
現実には、ちゅうぐらいでなく、より少ないものであるが。

ねずみ。

ねずみって久しく見ていないが、昔はあちこちにいた。6、70年前には。
日本は戦争に負けて食糧事情が悪い頃であったので、人間の食べ物を横取りするねずみは悪者であった。ねずみ捕りでねずみを取り、池などに沈めて殺していた覚えがある。今でもいるのであろうが、見ない。
今ではねずみは、案外愛すべき動物になっているようにも思える。昨日までに頂戴した年賀状に描かれていたねずみを幾つか。
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二人羽織のような右上のねずみは、<・・・ 輪を以って貴しとなす? おあとがよろしいようで>、と述べている。よく解るようでもあり、解らないようでもあるが。
膠彩画、水墨画の山宣・山本宣史からの賀状。
<子孫繁栄の年に>はよく解る。日本という国、少子化でどんどん人口が減っている。「子」は増えるという意、増えてほしいな。今後50年か100年ぐらいの長期計画で。
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居酒屋の帝王・石田宏からのもの。石田のネズミ男だ。
石田宏、昨年は入退院を繰り返していた。居酒屋の帝王が居酒屋へ行くことができない。
何とか今年は、居酒屋への復帰を果たし、酔っぱらいのネズミ男となってもらいたい。
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マルチアーティスト・犬飼三千子のねずみ。
油性木版。ボテッと光っている。見当が少しズレているのも練達の技なのであろう。
犬飼のねずみ、丸々としている。美味しそう。
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ねずみには違いないが、針鼠のようなねずみである。針というか棘のようなものが身体を被っている。
木版画の名手・小澤潔からの賀状。
見ている内にこう思った。去年の干支は亥。去年の賀状のイノシシを思いだした。棘で被われたイノシシを。今年のねずみ、去年のイノシシが少しスリムになったのじゃないか、と。いや、強そうなねずみである。
なお、小澤が<時代にとり残されそうです>なんてことはない。小澤潔、我々の学生時代のサークル仲間の級長みたいな男なんだから。小澤が取り残されると、我々はみなブクブクと沈んでしまう。
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緑や黄色など貼り絵かなと思った。が、そうではなかった。版画とも思えるが、そうでもないようだ。じゃあ、描いたのかな。
画家・後藤亮子からの賀状。オッシャレーなねずみである。
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ねずみだ。ねずみのしっぽだ。黒いねずみである。
これぞねずみである。そういう作品である。和紙作家・河瀬和世からの賀状。切り抜かれた黒い和紙が貼りつけられている。
ねずみである。
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よく見ると、床の上にねずみが走りまわっている。インド、ラジャスタンのカルニマタテンプルと記されている。大学の学部の同級生である山本和子からの賀状。
インドという国、何でもありの国である。ラジャスタンには私も2度行っているが、ねずみが這いまわっているお寺には行ったことがない。世界中あちこちへの旅を繰り返している山本和子でなければ撮れる写真ではない。ラジャスタンの中心部からは離れたところにあるお寺のようだから。
ねずみが神さま、インドという国、やはり面白いところである。
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白いねずみである。写真家・高橋重夫からの賀状。
紅蓮に燃える深紅の宇宙空間を、白いねずみが超光速で切り裂いている。
子年である。


カルロス・ゴーンの日本脱出には、元アメリカ特殊部隊の隊員が関与していたらしい。
非合法行為を成功させることなどお手のもの、プロ中のプロである。幾らの対価で請け負ったのか。おそらく日本円で10憶の単位じゃないか、と考える。ゴーンにとっても納得できるものであろう。ともかく日本から逃れ、日本への反撃を加えるために。


テヘランでは、アメリカのドローン(やはり、ドローンであった。何千キロも離れたワシントンからPC画面を操作していたのであろう)により殺害された革命防衛隊司令官・スレイマニに対し、3日間の服喪に入った。
トランプは、アメリカ国民を護るために正統な行動だったと語っている。イランの最高指導者・ハメネイは報復を宣言している。
アメリカとイラン、彼我での軍事力では話にならない。イラン、腕利きのスナイパーをワシントンへ潜入させるべきであろう。ゴルゴ13のデューク東郷クラスの。

正月3日。

箱根駅伝、やはり青学が強かった。
昨年5連覇を逃した無念を晴らした。青学、往路復路総合優勝である。
時折り思うのであるが、駅伝の華・箱根駅伝に出場できる選手は各校10人である。青学のような駅伝の強い学校の駅伝部というか競争部というかそこへ入るということは、長距離選手にとって恐らく頭を悩ますことであろうな、ということを。正しい名称は知らないが、青学の駅伝のクラブには、全国から多くの脚力自慢の選手が入ってくるのであろうから。
その中で箱根駅伝に出られるのは10人のみ。多くの選手は補欠であろう。ならば、他の大学へ行き箱根駅伝出場の10人に選ばれる道を、と考える選手もいよう。そこが若い選手にとっては、悩ましく難しい。
が、大学駅伝部の4年間、ずっと補欠でサポートメンバーであったというのも、素晴らしい時間の過ごし方であるのは確かであろう、とも考える。。


箱根駅伝の後は、NHKEテレで藤沢里菜と台湾の黒嘉嘉との新春スペシャル囲碁対局を見ていた。
藤沢秀行の孫娘、じいさんの血を引き強い棋士である。21歳となり美人でもある。しかし、台湾の黒嘉嘉は、美人棋士という範疇に収まりきらない美を誇る。もちろん碁も強い。が、それ以上に美人で有名。囲碁棋士でもあるがファッションモデルでもある。で、NHK、何かあると黒嘉嘉を呼んでくる。対局中も黒嘉嘉の顔をしきりに映す。NHKの視聴者サービスである。
藤沢里菜が中押し勝ちしたが、それ以上に正月番組として出色。何がって、藤沢里菜と黒嘉嘉の、ただひたすら碁を打つ顔を2時間にわたり放映したことに。正月番組だもの。


カルロス・ゴーンは、ベイルートでの忘年会だか新年会だかで赤ワインを飲んでいる。
シャクだが、日本という国が甘かったのだから仕方なかろう。


イラク、バグダッド空港で、イランの革命防衛隊司令官・ソレイマニが空爆を受け殺された。
アメリカ大統領・トランプの指示により実行された、とアメリカ国防総省が発表している。今、アメリカは世界のどこでも、探査衛星で捉えたターゲットを攻撃、殺害することができる。今回のバグダッド空港での攻撃はそうではない模様だが、現場から遥かに離れたワシントンからドローンを操って攻撃することもできる。
革命防衛隊司令官、イランの英雄である。イランの最高指導者・ハメネイは、アメリカへの報復を語っている。
中東の専門家・田中浩一郎(昨年から慶應の教授にもなっている)は、「アメリカは導火線に火を点けた」と語る。いつものように表情を変えず。
トランプをドローンで、なんてことを考えることはいけないことですよね。やはり、ハハ。


正月3日、碌に何も食べず、酒だけを飲んでいる。

全国大学ラグビー選手権準決勝。

正月2日の楽しみは、ラグビーの全国大学選手権の準決勝だ。箱根駅伝もあるが、やはりラグビーである。殊に今年は面白い。
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昨年、大学選手権10連覇を逃した帝京が、今年は準々決勝で敗れ去り、今日の舞台に登場することができなくなった。関東大学対抗戦でも明治、早稲田、慶應に敗れている。絶対王者・帝京の時代は過ぎ去ったのか。
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今日の秩父宮、第一試合は早稲田対天理。
このところの天理は強い。昨年度の準決勝では、それまでの絶対王者・帝京を破り決勝に進んだ。決勝では準決勝で早稲田を破った明治に敗れ、準優勝となったが。天理、ともかくパワフルである。早稲田が押し潰されることもあり得るな、と心の準備はしていた。
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今年の大学選手権、大方の優勝予想は明治であろう、と言われている。
しかし、早稲田と当たる天理、明治と当たる東海、共に強力なフォワードを誇る。フォワード戦で、早明のフォワードをめくりあげて一蹴なんてことも、とも考えていた。
が、そうはならなかった。対抗戦の雄、数多くの優勝経験のある早稲田と明治が上手さを発揮、天理と東海のパワーを押さえきった。
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早稲田対天理のファーストスクラム。
フォワードの平均体重はまったく同じ。が、天理にはフィジーやトンガからの留学生が4人も先発している。彼らがいかにもパワフルなんだ。
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ゲーム開始から10分ほどは、天理の強力フォワードに早稲田は押される。早稲田、何度もスクラムでの反則を取られる。
天理のペースでゲームは進んだ。
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が、早稲田、一瞬の隙をつく。
バックスへ廻し、左隅にトライ。ゴールも決まり、7-0とする。
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その後は完全な早稲田の流れ。
スクラムでも負けない。
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立て続けにトライ、ゴールを決め・・・
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一時は早稲田、21対0とリードする。
その後、天理にトライ、ゴールを許し、21-7。
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前半終了2分前の早稲田のゴール前で、天理の猛攻を受ける。
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今まで何度も記したように、早稲田ゴール前で相手の猛攻をしのぐのは、早稲田のラグビーの最大の醍醐味である。見物である。早稲田、自陣ゴール前で相手の猛攻を耐えに耐える。
痺れる。
今日も耐えた。凌ぎ切った。
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早稲田にペナルティーが多いのは、ゲーム開始から暫らくのスクラムでのペナルティーである。初めはスクラムを押されていた。で、おのずとペナルティーをとなった。
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後半最初のトライも早稲田が取った。
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後半も半分の時間が過ぎた。
双方にトライ、ゴールがあり、早稲田35点対天理14点となっている。
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後半26分、早稲田がモールを押しこむ。
これには驚いた。早稲田がモールを組んで相手を押しこむなんて、考えたこともなかった。それが現実のものとなった。
さらに、その、モールを押しこみトライを取った。驚いた。早稲田のラグビー、長く見ているがモールを組んでのトライなんて初めて見た。
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その後も早稲田はトライを重ねる。
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終わってみれば52対14の大差がついた。
実力差以上の差がついた。天理、早稲田に飲まれてしまった。
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ノーサイド。


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準決勝第二試合は明治対東海。
フォワードの平均体重は東海がやや優っている。それ以上に東海のフォワードはパワフルである。明治、東海フォワードのモールの押しこみを警戒している。
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明治、強力フォワードの東海のパワーを押さえこむ。天理に対する早稲田と同じく。明治バックスが走りこむ。
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前半データ。
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東海、ゲーム終了間際まで明治を攻めたが、届かなかった。
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全国大学選手権の決勝は、早稲田対明治となった。
公平に見て、明治がやや有利であろう。
その中で、早稲田ゴール前の攻防を見てみたい。
攻められて攻められて、耐えに耐える早稲田フィフティーンの姿を。痺れるような攻防を。

365分の1日。

新しい年が明けた。
昨日までの10日ばかり、年賀状を作らなけりゃと思っていながらも一向に取りかからなかった。以前に較べればめっきり少なくなったが、知り合いからの年賀状は届いた。3、4日の内に作って出そう、と考えている。去年もそんなことを考えていたが、実際に出したのは7日か8日であった。今年はどうなるか。
昨年はまったくと言っていいほど何所へも行かなかった。何となく具合が悪くなったり、夏は暑すぎたりで外へ出られなかったり、と。足や腰の負担が増したこともある。が、そんなことは言っておられない年となった。あと365日。杖をつきながらでゆっくりゆっくりであるが、出て行こうと思っている。年の初め、今年の目標である。あと365日であるから。
令和、令和と言っているが、日本という国にとって大きな変化は、明治への改元である。明治維新は単に武家政治が倒れ天皇制に戻った、ということではない。良くも悪くも強力な中央集権国家となった。天皇を頂点に戴いた。欧米先進国に追いつき追いこせだ。欧米列強に軍事力でも対抗しようとする。日清日露、朝鮮併合、台湾も。傀儡国家・満洲建国。さらに中国はじめアジアの国々への侵略。アメリカはじめABCD、いわば世界中を敵に回してこてんぱんにやられた先の戦争の敗戦は、当然の帰結である。
アレッ、正月早々、私は何を書こうとしているのかな。酒に酔っぱらっていたので、少し頭の中がおかしくなっているのかもしれない。
いや、明治維新となり欧米列強と軍事力で対抗しようとした動きの一方、欧米先進国に文化で対抗しようとした男もいた。そのことを記そうとしていたんだ。
大谷光瑞のことである。
19世紀末から20世紀初めにかけ、中央アジア、西域の地には欧米の探検隊が次々と入った。
スウェーデンのスウェン・ヘディン、イギリスのオーレル・スタイン、ドイツのアルベルト・フォン・ル・コック、フランスのポール・ペリオ、さらにロシアやアメリカの探検隊も、と。そのような中に割って入ったのが、日本の大谷光瑞である。浄土真宗本願寺派、つまり西本願寺の跡継ぎである。大谷光瑞、この時にはまだ法主になる前、まだ20代半ばの若者である。
大谷光瑞、1902年から19Ⅰ4年にかけ西域探検隊を3度にわたり送っている。1902年から1904年にかけての探検隊には、大谷光瑞自身も参加している。
第1次隊の1902年という年は、ヘディンの最初の探検隊である1893年よりは10年ほど後であるが、スタインの第1次隊の4年後、ル・コックの第1次隊と同時期である。大谷光瑞、イギリス留学中から駆けつけたそうであるが、本願寺さんのぼんぼんであるにしても気宇壮大、とても愉快である。
西域への探検隊、さまざまな文物を自国へ持ち帰った。時には剥ぎ取って。文化の収奪である。
20年以上前になるが、西域へ行った。敦煌の莫高窟やトルファン郊外のペゼクリフ石窟へも。敦煌莫高窟の敦煌文書は、スタインやペリオがわずかな金で持ち去った。ペゼクリフの石窟は酷い状態であった。あちこちの探検隊により、壁画が剥がされて持ち去られていた。特に遅れて来たアメリカ隊は、薬品を使って壁面を剥がしていったそうだ。大谷光瑞の探検隊は、そのような野蛮なことはしていない。
が、今、大谷探検隊将来品というものがある。
東博の東洋館と京都の龍谷ミュージアム、そして、韓国ソウルの国立博物館に収蔵されている。中国の博物館にも大谷探検隊将来品はあるようだが、それは見ていない。
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大谷探検隊将来品のこの仏像が好きなんだ。
≪如来像頭部≫。
中国、ホータン。3~4世紀。銅造鍍金。
ホータン出土の仏さまであるから、1902年から1904年にかけての第1次大谷探検隊の時の将来品である。この時には、ホータンやクチャを探検している。
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高さ17センチの小ぶりな仏頭である。
<口髭、見開いた目などガンダーラ・スワート地方の石彫像からの影響が見える。分厚い鍍金が部分的に残っている。西域における青銅製仏像彫刻の最古の遺例として大変貴重な作品です>、と東博の説明にある。
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好きな仏像は幾つもあるのだが、これも好き。


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今日、孫たち一家が来た。
去年は三が日いたが、今年は今日のみ。明日からは婿殿のジジババの方へ行くらしい。向こうのジジババも待っている。
冷凍技術の発達でお節の通販が伸びているそうだ。で、我が家でも北海道から取り寄せた。孫娘と孫坊主、その向こうでお年玉の袋を持ってハイポーズ。
夕刻、風呂に入った後、孫一家は帰っていった。
今年の365分の1日が終わった。

ほどよい齢に。

時折り、早く年寄りになりたいなと思っている人がいる。先ほどから、あれは誰だったかなと思いだそうとしているのだが、思いだせない。一般世間にほどほどに知られている若い人だったんだが。仕方がない。


ところで、色川武大はその風貌からそこそこの年齢であると思われていたが、そうでもなかった。死んだ時はまだ60歳だったのだから。だが、50代の頃から老いることを感じるというか、老いへの憧れということを記している。<けれども、もう、秋、という感じは否めない。鏡をみると皮膚のたるみや衰えがいやになる>(色川武大著『いずれ我が身も』 中公文庫 2004年刊、初出は1992年)。57歳の時である。
そして、<老人というものは、大体、遊ばないものである。徹夜もしない。馬鹿呑みもしない。女の居るところでなど眼をさまさない。そうしてまた、仕事もしない。そうだ、老人は仕事もしなくていいのである。人間の体には仕事が一番わるい。なにが不摂生といって仕事ほど不摂生はない。そう思うと早く立派な老人になりたくて居ても立っても居られない>、とも記す。
まだ、飲む打つ買うの無頼に生き、色川武大と阿佐田哲也のふたつの筆名で作品を書き分けていた頃である。早く体に悪い仕事などしなくていい老人になりたいと言っている。が、現実は、そうなる前に幕を閉じてしまった。ほどよい齢になる前に。


山田風太郎は、<六五歳まで生きりゃあ、もういいのではないか>(『コレデオシマイ』1996年 角川春樹事務所刊)、と言っている。風太郎先生が「65歳まで・・・」と言っているのは、人間の生殖年齢と子供をある程度まで育てる年数を加えたものだそうだ。が、ご自身は79歳まで生きたが。
山田風太郎に関しては、高名な忍法帖シリーズはひとつも読んでいない。「くノ一」も何も。しかし今までにずいぶん触れてきた。毎年8月には、『昭和天皇独白録』や野坂昭如の書と共に山田風太郎の『戦中派不戦日記』は付きものであった。小説では、「明治波濤歌」の中の『巴里に雪のふるごとく』が、パリ物としてすこぶるつきで面白い。そして何と言っても『あと千回の晩飯』。これは何度も何度も読んだ。どうってことのないことを書いているのだが、読み始めると終わらなくなる。あと千回ぐらいだろう、と思って記し始めたのだが、現実には2500回ぐらい晩飯を食って死んだ。79歳で。ほどよい齢である。
『コレデオシマイ』は、死ぬ5年前の1996年に角川春樹事務所のふたりの編集者が、6回にわたって山田邸を訪れインタヴューしたものをまとめたものである。
この時、山田風太郎は74歳である。「今やりたいこと? 何もないなあ」、と語る。「たとえば旅行に行きたいとかいったことはありませんか」、と訊かれたのにこう返す。「旅行も、どこへ行ってもだいたい同じだという感じでね。今やりたいことといっても、別にないなあ」、と答える。「それでは、これだけは食べたいといったものは?」との問いに、「いやあ、それがないんですよ」、と。山田風太郎、毎日ウイスキーを飲みながらご馳走を食べているのであるが、こう応える。「僕はフグもうまいと思うけれども、」メザシだって上手いと思う」、」とも。
風太郎先生、2001年、79歳というほどよい齢で死んだ。


ところで何故、風太郎先生が79歳のほどよい齢で死んだことを記してきたかと言うと、来年、と言っても明日からであるが、私も79歳というほどよい齢となるからである。
ここ数年、何となくそういう徴候がある。
一昨年には何となく身体がおかしくなった。医者に行くと肺炎だと言うことで10日間入院した。昨年は2度何となくおかしくなり、その内一回はやはり肺炎だとして12日間入院した。今年は入院はしなかったのだが、3度何となくおかしくなった。その都度このブログもひと月ばかりずつ休んだ。
この秋以降は、腰椎の圧迫骨折と足の疲労骨折ということが加わった。骨折の方は良くなっている(足の方など、新しい骨ができてきている。「こんな年寄りでも新しい骨ができるんですか?」と医者に訊いたら、「できます。できます」、と医者は言っていた。へー、と思った)。が、それ以前からの脊柱管狭窄症の方がやっかいで、杖の助けを借りている。少し不具合ではあるが、出歩かなくてはと考えている。時折り来る孫たちが家の中を走りまわっているのを見るのは、それはそれで何とも言えない幸せな時であるが、それに溺れないようにと。今年の一年はさほど動いた覚えがない。近場の足利と佐倉で一晩泊まったのみ。
ほどよい齢となる明日からの一年は、杖を頼りにあちこちへ行こうと考える。「別にどこへも行きたくない」、と言う山田風太郎と異なり、残された一年、杖をつきながらではあるがあちこちへ行かねば、と思っている。インドはもう厳しいが、パリあたりならば、と。どうなるか。


一週間前、銀座奥野ビルへ行った。
丸山則夫展を見に行ったのだが、その後、早見堯に紹介されていたギャラリーナユタへ寄った。
ギャラリー内、誰も入ってくる人はいなかった。とても知的なオーナー・佐藤香織さんと暫らく話していた。辞する時、佐藤香織さんがこう言った。「よろしければ写真をお撮りしましょうか? 白い四角の背景の中に収まり面白いのですよ」、と。お言葉に甘えシャッターを押してもらった。
これである。
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ヒゲはすっかり白くなった。瞼が垂れさがってきて、目が落ちくぼんでいる。典型的なモンゴロイドの顔貌である。
黄色人種・モンゴロイドについて、司馬遼太郎はこう記す。
<この人種は、遠いむかし、シベリアの寒地でできあがって、寒地に適応するような形質をそなえた>、と。続けて、<たとえば白人種・コーカソイドのように瞼が薄くなく、ぼってりと厚い。寒さから眼球をまもるためである。また寒気が鼻腔の奥を凍らせることがないように鼻を顔にめりこませている。このため顔が平べったく鼻がひくい。要するに防寒型の顔である。・・・>(司馬遼太郎著『街道をゆく』38、『オホーツク街道』朝日文庫 2009年 朝日新聞出版刊)。
私は、禄に飯も食わないから、頬もげそっと削がれている。扁平な度合い、ますますその度合いを強める。後ろはアール・ブリュットの作家たちの作品である。
この姿で今年・2019年を送り、最後のほどよい齢の年、79歳となる2020年を迎える。


カルロス・ゴーンがレバノンへ逃走した。
ゴーン名義でないパスポートを使ったとも、楽器ケースに潜んでとも、と。いずれにしろ、日本の検察はゴーンに敗れた。ゴーン被告の保釈を取り消すなんて語っているが、保釈を取り消そうと何であろうと、カルロス・ゴーンは、もう手の届かない所へ行ってしまったのだから。
カルロス・ゴーン、「日本の不公正と政治的迫害から逃れた」、とベイルートで語っている。
日本の司法制度ばかりじゃなく、日本という国自体馬鹿にされること自明であろう。
日本国、シャクなことながら、どうも甘い国になっているようだ。

正倉院の世界展。

令和への代替わりの後、東博では「御即位記念」の催しが幾つか持たれた。11月16日の大饗の儀の日に触れた「天皇と宮中儀礼」もそのひとつであるが、メーンはこの「正倉院の世界」展であろう。
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東博正門前にはいつものようにバイクやチャリンコが停められているが、今回初めて今まさに停めようという人に行きあった。
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「御即位記念特別展」、「皇室がまもり伝えた美」、とも。
「今、受け継がれる悠久の美 正倉院宝物と法隆寺献納宝物の代表作を公開」、とも謳う。
正倉院はシルクロードの終着点、ペルシャ、天竺、唐、・・・などの西方の国々からもたらされた宝物が、ということは知っているが、その宝物自体は写真でしか知らない。
奈良へは何年かに一度は行き、たまには東大寺へも行き、校倉造りの正倉院を見ることもあるが、毎年秋に開かれる奈良国立博物館での正倉院展には行ったことがない。
正倉院の宝物、元々は聖武天皇が亡くなられた後、光明皇后が亡き夫・聖武天皇の御遺愛品をはじめとした品々を東大寺の大仏に捧げられたことに由来する、と東博のパンフにある。それから約1260年の間守り継がれてきた。
私が行ったのは、11月に入ってからであった。平成館の会場への待ち時間は1時間と出ていた。1時間はきついな、昼飯も食っていないし、と「ゆりの木」で時間を潰すことにした。「ゆりの木」でいつものように五目つゆそばを頼んだ。ホテルオークラが運営する食堂なので、ここの五目つゆそばはしつこくなくて美味い。コスパもいい。
余計なことを書いちゃったが、「ゆりの木」で暫らく休み平成館の方へ歩いた。まだ列が続いている。
立っている係の人に待ち時間を訊くと、「あっ、杖をついている人は並ばなくて結構です。あの入口から入ってください」、と言う。驚いた。「えっ、いいんですか、割りこみみたいじゃないですか」、と言ったら、「いいんです。杖の人はそのまま入っていいって決まりなんです」、と言う。
私は10月の終り頃から杖を使っていたが、東博の特別展へ杖をついて行ったのは初めてであった。
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そういう決まりである、との係の人の言葉に甘えさせてもらったが、さすがに並んでいる人たちの前を通り平成館の入口を入る時には気が引けた。
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平螺鈿背八角鏡。
唐時代・8世紀。正倉院宝物。
南の海の螺鈿に宝玉もちりばめられた鏡である。まぶしい。
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海磯鏡。
唐または奈良時代・8世紀。法隆寺献納宝物。
飛鳥・奈良時代(7~8世紀)の法隆寺の宝物、明治11年(1878年)、法隆寺から皇室へ献納された。法隆寺献納宝物と呼ばれるそれらの宝物は今、東博の法隆寺宝物館に納められている。
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伎楽面 酔胡王。
飛鳥・奈良時代(7~8世紀)。法隆寺献納宝物。
酔っぱらったペルシャの王様だ。
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蜀江錦褥残欠 表裂。
飛鳥時代。法隆寺献納宝物。
法隆寺では聖徳太子がお使いになった敷物(褥)として伝えられた、と東博ニュースにある。
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紺夾纈鉇几褥。
奈良時代・8世紀。正倉院宝物。
几褥は平安時代に途絶えた幻の染色技法。この褥はその最高傑作、と東博ニュース。
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灌頂幡。
飛鳥時代・7世紀。法隆寺献上宝物。
金属の幡は珍しい。法隆寺宝物館に入ると、大きな金属の幡が迎えてくれる。
正倉院の宝物は9000件あると言われている。その内今回東博へお出でになったのは43件。コンマ以下のパーセントである。が、選りすぐりの宝物が、ということは言えるのではないか。
「黄熱香」が来ている。いわゆる「蘭奢待」である。
ひねくれた古い木であるが、これが面白い。絶対権力者・天下人が何とかこれを、と切望した香木であるから。足利義政が切り取ったことが残されている。織田信長が切り取ったことも残されている。近場では、明治天皇もということも一説では。さすが明治大帝。
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カメラはもちろん許されていない。が、最後、ここから先だけはと記されている。
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正倉院、校倉造りのレプリカ。
天皇の使いでなければ、という勅封が見える。
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多くの人がいる先は・・・
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複製品の螺鈿紫檀五弦琵琶。
複製品であるが多くの人が写真を撮る。複製品とはいえとても美しい。西方からもたらされた螺鈿細工の五弦の琵琶。
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螺鈿紫檀阮咸。もちろん複製品。
大勢の人がいるので前へ行こうという気が起きない。離れたところから撮った。いびつになったが、仕方ない。
東大寺大仏殿が写りこんでいる。奈良である。
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森鴎外の言葉があった。
鴎外、たしか、東博の前身である帝室博物館の館長を務めていたような気がする。


音声ガイドは元NHKアナウンサーの石澤典夫であった。さすが安定感はあるのだが、いまいち響いてはこなかった。
実は私、会場内では四六時中座る。席が空かないかなーって常に思っている。席が空けば座って音声ガイドを聴いている。対象物を見ないで音声ガイドだけを聴いているということもある。だから音声ガイドは大事である。石澤典夫のそれ、イマイチであった。


腰や足の骨の方は杖を使って大丈夫なのだが、ここ暫らく、身体の中の方がまた何かおかしくなってきた。
「流山子雑録」、暫らく休みます。