オホーツクふらふら行(23) 稚内へ。

「お客さん、そろそろ出ます」、とバスの運転手が呼びにきた。
国鉄天北線や鬼志別駅の諸々の品々を見ている途中であったが、運転手についてバスへ戻った。稚内行きの宗谷バスに、鬼志別からも乗ってくる人はいなかった。
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宗谷バス、私ひとりを乗せ走る。オホーツクの海を見ながら。
この日3月2日、紋別から雄武へのバスには私を含め5人の乗客がいた。
が、その後、雄武から枝幸、枝幸から浜頓別、浜頓別から鬼志別、そして鬼志別から稚内への3路線のバスに乗る客は私ひとりであった。
バスの運行が減便されることも、遠いことではない。
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小さな港があった。
漁船が陸にあがっている。
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ここでは流氷が接岸している。
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ここも小さな漁村。
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壁に「宗谷岬」と記されている。
日本最北端のガソリンスタンドである。
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その内、三角錐のこれが見えてきた。
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宗谷岬のバス停から撮った「日本最北端の地」の碑。
宗谷岬へは、この翌日、稚内から訪れようと思っていた。しかし、宗谷岬はこのバス停に停まったバスの窓から見た宗谷岬で十分と考えた。このバス停から見た三角錐で。
なお、ここ宗谷岬のバス停で、初めて二人の男が乗ってきた。やっと私以外の客が乗ってきた。
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はっきりしないが、間宮林蔵の像も見えてくる。
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バスが進むにつれ、「日本最北端の地」の碑と「間宮林蔵の像」が重なる。
実は、稚内、そして宗谷岬での『街道をゆく38 オホーツク街道』での司馬遼太郎の記述は、多岐にわたっている。ハンパない。
オホーツク人から、津軽安東氏から、満洲旗軍から、ギリヤークから、三靼交易から、泉靖一から、と変幻自在。ついて行くのが大変だが、面白い。
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ここでも漁船が陸へあがっている。
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趣きのある光景だな。
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ここも・・・
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ここも、オホーツク。
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窓外の光景、少し変化してきた。
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稚内が近いようだ。
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Ⅰ5時47分、稚内駅前バスターミナルへ着いた。
バスターミナル、道の駅わっかないとJR稚内駅と同じ所、同じビルである。
これは、JRの駅にあった駅近くの地図。現在地というところに着いた。
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駅の中から稚内駅のホームを見る。
稚内駅、昭和3年12月26日開駅と記されている。
雪の中の日本最北端の線路。
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駅からホテルまでは500メートルばかり、タクシーで。
4時すぎ、部屋に入り外を見る。
すぐ目の前に、得も言えぬ趣きの北防波堤ドームが見える。
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その日、3月2日の道新一面。
習近平の訪日、延期されることに。そりゃそうだ。