オホーツクふらふら行(18) 雄武へ。

前日夜、紋別バスターミナルを6時59分に出るバスに乗るので、迎えのタクシーの予約を、とホテルのフロントに頼んでおいた。「バスターミナルはすぐ、5分もかからない。7時10分前でもいいが、15分前に来るように言いましょう」、とのこと。
朝、7時15分前に下りて行くと迎えのタクシーは来ていた。
紋別からオホーツク海に沿って稚内まで行くつもりである。
行程は220~30キロ。それがどうして、こんなに朝早いバスに乗らなければならないのか。
4路線のバスを乗り継がなくては、その日の内に到達しないからである。端的に言えば、それぞれの路線の便数が少ないからである。紋別から雄武行きのバス、次便は10時すぎ。この便ではその日の内に稚内へ着くことはできない。だから、6時59分発に。
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すぐにバスターミナル。
北紋バス雄武線。
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乗客は私を含め5人。
バスは走り出す。
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この先で国道238号線に入る。
国道238号線、網走から稚内までオホーツクに沿って走る。
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オホーツク沿い、何々水産という会社が時折り現れる。
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<かに番屋 元祖かに食べ放題>、と書かれている。
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オホーツク沿いを進む。
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興部のバス停。
ここで紋別からの乗客が二人降りた。
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バス停近くにこの店があった。
おこっぺんはうす。喫茶店兼食堂兼ラーメン屋であろう。
興部、オホーツク沿いのそこそこの町である。
司馬遼太郎は、<「興部です」と、運転手さんがいってくれた。国道が分岐しているあたりはさすがに店々のあかりがにぎやかで、・・・>、と記している。しかし、3月初めの興部はとてもそうは見えなかった。バスの窓から見た興部、このおこっぺんはうす以外、店はなかった。
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バスは走る。
乗客は私を含め3人となった。
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オホーツク海、流氷が来ている。
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オホーツクの海、得も言えず美しい。
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雄武に近づく。
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雄武で私を含む3人が降りた。
雄武のバスターミナルにもロコ・ソラーレのこれがあった。
雄武では、<毛ガニといえばココ・ソラーレ 雄武町>、と記されている。
オホーツクの共通幟、オホーツクールも。
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雄武でも鉄道への思いが。
興部から雄武まで国鉄の興浜南線が通じていた。
実は、1980年代前半に「オホーツク海縦貫線」という構想があったそうだ。網走から稚内まで、335キロの鉄道である。しかし、潰える。在来線も次々に廃線となる。興浜南線も。
で、雄武バスターミナルにもこういう面影が。<思い出の>、との。
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雄武のバスターミナルには、こういうものもあった。
<やっぱ地元でしょ 雄武高校でしょ>、と記されている。
左上に、少し古いが平成28年度の卒業生の進路が記されている。
4年制大学へ2名、短大へ3名、専門学校へ9名、そして町内就職は3名、道内就職は4名、合計21名、と。1年に高校を卒業する人数が21名しかいないんだ。オホーツク沿岸ではそこそこの町である雄武で。
オホーツク沿い、いかに人が少ないか。日本の地域格差の典型のひとつであろう。