オホーツクふらふら行(12) 鉄道。

国鉄が民営化されJRとなった。JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州、と地域毎の。
首都圏や関西圏、その間の中部圏は人口も多く良かろうが、北海道は困っている。
網走駅の待合室にこのようなものがあった。
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「鉄道を残すために、いま、できる行動を」、と記されている。
周りに駅名が書いてある。
左上に釧路と。どんどん下がってきて網走までは釧網本線。右上には旭川。ずーと下がってきて網走までは石北本線である。この道東の鉄道の存続が危うくなっている、と。
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左下を見れば、知床斜里から網走への駅々が。
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読みづらいが、石北本線と釧網本線の特性と現状が記されている。
共に、昭和50年から平成29年の42年間で輸送密度が5分の1となった、とある。<輸送密度とは、1日1キロメートル当たりの平均乗車人数のことです>、という註も記されている。自動車の普及ということもあるが、何と言っても人口が減っているんだ。年々、乗る人が少なくなっている。
平成29年度の収支状況も出ている。石北本線はマイナス42億4300万円、釧網本線はマイナス14億9700万円。
当然のことながら、共に赤字。困った状況である。
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地図、路線図を取りだしてみよう。
この黄色い線。今、存続論議が起きているという石北本線と釧網本線。
この他、根室本線や稚内から名寄への宗谷本線も黄色、赤字線である。富良野への線も。こうして見ると、北海道の北部や東部から鉄道がなくなってしまう。
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これでいいのか。よかないよ。
で、網走市ではこういう動きをしている。
「鉄道を守るために、いま、できる行動を」、と。
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こういうことも。
JR北海道の応援団になってくれ、という。
私も、応援団になった。経済原則から言って、とても厳しいものなんだが。
しかし、そうは言っても、広い北海道にとって鉄道はなくてはならないもの。鉄道に対する思い入れは、ハンパなものじゃない。恋情と言ってもいいかもしれない。
今現在、既に廃線となり鉄道のないところでも、かっての鉄道のことが出てくる。
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今ではまったく鉄道のなくなったオホーツク沿岸の町でも、町のパンフにこのようなかってのSLが。
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知床博物館にもこのようなチラシが。
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雄武のバスターミナルには、このような展示が。かっての切符や鉄道の写真が。
北海道のあちこち、鉄道に対する思い、絶ちがたいのだ。
それと共に、北海道は鉄道が似合うんじゃないか、とも思えるんだ。最果てのイメージがある町があちこち幾つもあるのだから。
網走はその最たるもの。鉄道が似合う。


20年近く前になくなった宮脇俊三は、今でいう乗り鉄の嚆矢、魁と言える人であった。
ともかく、隙あらば鉄道に乗ろうというのだから。
<函館へ行くべき、ちょっとした所用ができた。・・・・・。・・・・・。せっかく函館まで行くならば、ついでにどこかへ、と考えはじめる。ちょうど流氷の季節である。しからば、オホーツク海岸の網走あたりへ足を延ばそう、となる>。宮脇俊三著『旅は自由席』(新潮文庫 平成7年刊)所載の「函館から網走へ」の冒頭である。
<函館へ行くついでに網走へとは、われながら、かなり滑稽である>、とは記している。が、そこから先が鉄道作家・宮脇俊三の面目躍如。札幌で毛ガニを食い酒も飲んで、ということはいいが、その後まっすぐ網走には向かわない。遠回りの釧路行きの寝台車に乗る。早朝、釧路に着く。粉雪が斜めに吹きつけている。隣のホームに上がると、2本のディーゼル車が待機している。根室行の急行「ノサップ1号」と網走行の鈍行である。根室まで行こうか、途中で引き返して網走へ行ってもいいかな、と逡巡する。
<思案するうちに、先に発車する網走行鈍行のベルが鳴りだした。私は発作的にそれに乗った>、と宮脇俊三は記す。根室の方へは向かわず、ともかく発作的であろうと網走行きに乗ったんだ。
が、宮脇俊三、その後もあちこち寄り道をしながら12時58分、網走へ着く。
<駅前でラーメンを食べ、13時30分の特急「オホーツク4号」札幌行に乗る>、と宮脇俊三。
アレッ、網走にはラーメンを食べに行ったんだっけ、流氷を見に行ったのじゃなかったのか、」と一瞬思うが、宮脇俊三、ちゃんと流氷を見ている。
斜里から網走までの車窓から。30~40分ばかり。その後、ラーメンを食って戻ってくる。
さすが宮脇俊三、鉄道名人。
また、網走がそのような場にピタッとフィットしている、とも言えるのでは。


志賀直哉に『網走まで』(弥生書房 1985年刊の「鉄道諸国物語」所載)という初期の短編がある。明治41年(1908年)の作である。
主人公の男が上野から汽車に乗る。
混んだ車内に、聞き分けの悪い7つばかりの男の子と乳飲み子を抱えた女も乗っている。汽車は間々田の停車場を過ぎ、小山を過ぎ、小金井を過ぎ、石橋を過ぎて進み、宇都宮に着く。ここで主人公の男は降りる。
網走までじゃないのか。これじゃ宇都宮までじゃないか、と誰しもが思う。
中に一か所、こういう記述がある。
<少時して自分は、「どちら迄おいでですか」と訊いた。「北海道で御座います。網走とか申す所だそうで、大変遠くて不便な所だそうです」 「何の国になってますかしら?」 「北見だとか申しました」 「そりゃ大変だ。五日はどうしても、かかりませう」 「通して参りましても一週間かかるそうで御座います」 ・・・>。
明治末という時代である。志賀直哉の初期の代表作であるそうだが、私には今ひとつ分からなかった。上野から網走まで1週間もかかる時代であった、という以外。


原田康子以来、北海道の女流作家には何やら秘めたる、という匂いを感じる。
<ひとつ、ふたつ、入り江に氷塊が入ってくる。「本当にここでいいんですか」メーターを倒す際、若いタクシー運転手が不安そうに訊ねた>。桜木柴乃著『氷平原』(文春文庫 2012年刊)はこう書き出される。
網走駅からタクシーでさほどではない所だと思われる。
この地の男は中学を出たら道が分かれる。漁師になるか、高校へ行くか。高校を出た後は、漁協や役場に就職する。しかし、遠野誠一郎は大学へ行きたかった。父親は漁師になれと言うが。そして、大学に行くなら東大へ入れ、と。東大へ入れなければ漁師になれ、と。
主人公の男、東大へ入り、卒業後は財務省へ入り、岩見沢税務署長となり、北海道へ戻る。
岩見沢から特急で5時間の地、網走であろう。網走からタクシーで行った入江、、その町での悲しい物語りである。
<友江の体が目の前から消えた。誠一郎はまるで最初からひとりだったように、氷の上にいた。・・・。いくら待っても友江の体が浮かび上がってくることはなかった。・・・>。
<氷が鳴いた。音は不気味にこだまし、体に響いた。楕円の月。裂けた氷の向こう。氷平線が横たわっていた>。
眠くて眠くて、端折りすぎたか。


今日、関東では雪が降った。
暫らく前、雪の世界にいたのだが、こちらの雪も面白い。
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お昼ごろ、ベランダから下を見る。
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この小さな木、確か桜木、花をつけていた。その上に雪。
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こちらは大粒の雪ではあるが、積もることにはなりそうもない。・