志村けんの死。

人の死を知った時、たとえそれが世によく知られた人の死であろうとも、「ああ、そうか」と思うことが多い。
マルセル・デュシャンの墓碑銘に彫られているという「さりながら、死ぬのはいつも他人」であるからである。
このことは、2年前のこのブログ「流山子雑録」に、肺炎で入院し退院した後、4月から5月にかけて20数回連載した「住み果つる慣ひ考」で記した。
どのような有名人であろうと、デュシャンのいうように、「さりながら、死ぬのはいつも他人」なんだ。
しかし、時として、「エッ」と驚く死がある。「ああ、そうか」ではない。
今日報じられた志村けんの死は、まさにそのような死である。びっくりした。
1週間ほど前から、志村けんが新型コロナウイルスに感染し入院していることは報じられていた。しかし、そのうち、「だいじょうぶだぁー」って戻ってくるだろう、と思っていた。
それが昨日の夜、死んだとは。医学的にはそれ相応のことはあるのであろうが、私たちにとっては急死である。
私は、いわゆるバラエティーと言われるものはほとんど見ていない。しかし、志村けんのことは知っている。ドリフターズの付き人となった頃から。その後の「東村山音頭」も「バカ殿」も、「ヘンなおじさん」も。
ドリフというより、志村けんにどこか興味を持っていたのだろう。その頃だったか、志村けんは独身らしいが、石野陽子と結婚すればいいんじゃないか、ピタリじゃないか、と思っていたこともある。両人共、いい人のようだし、と。そうはならなかったようだが。
このところは、カミさんが「天才!志村どうぶつ園」を見ているので、時折り私も一緒に見ていた。
それにしても、急である。
これが新型コロナウイルスの怖さである、と日本国民全員が感じたに違いない。志村けんの死は、安倍晋三の言葉、小池百合子の言葉よりはるかに強いメッセージを伝えた。
日本ばかりじゃない、米中英韓ばかりでなく世界中あちこちのメディアが志村けんの死を報じている。
ところで、2年前のブログ「住み果つる慣ひ考」の中で、田辺聖子の言葉に触れた。「人生は、神サンから借りたもの」、という言葉について。
「志村けんは、日本人、いや世界のあちこちの人が、神サンから借りたもの」だったのだな、ということを改めて思う。借りたものは、返さなければならない。
私たちが、神サンから借りたものが戻っていった。