杉浦良允の軌跡。
昨日、15、6人のお祝いの席に招かれていた。久しぶりでスーツを着て出かけた。杖を使っているが、ゆっくりと歩いて。
夜、酔って戻ってくると、杉浦からの封書が届いている。お、杉浦のあれだなと思い封を切ると、やはりあれであった。
杉浦良允、今年の初めの頃、作品集を作るんだと話していた。久木にお袋の遺歌集を作ってもらった私は、「あ、それならば久木に頼め、久木は編集も造本も上手いぞ」、と杉浦に言った。
杉浦も久木もこの「流山子雑録」には何度も出てきている古い仲間である。杉浦、初めの頃は久木に相談していたようだ。が、その後ふたりと会った時など、どうもそうでもない感じが雰囲気で分かるようになった。杉浦もクリエーターをやっていたので、どうも全面的に任せることには抵抗があったのではないか、と思っていた。その気持ちもよく解かる。
昨日夜、封を切って出てきたあれは、これである。
『杉浦良允の軌跡』。
200mmX210mmであるから、A4判変型。32ページ。
いつか杉浦と会った時、もう少し厚くしたらどうかと言ったが、杉浦はもうそれで進んでいると話していた。
それはそれとし、昨日届いた32ページの作品集、とても美しい。
最初のページ。
1965年、1966年の作品。実は、あまり明確な記憶がない。
杉浦は、早稲田の美術研究会というサークルの1年後輩である。が、卒業年次でいえば、卒業まで8年かかった私の3年先輩にもあたる。この1965年や66年という頃は、私は休学し結核療養所に入っていた頃。おそらく見ていない。
シェル賞の佳作に選ばれたこの作品が、杉浦の原点であろう。
1966年のサトウ画廊での個展でのこの作品も、こうして見ると息づいている。
1969年、銀座ルナミ画廊個展での作品。
この頃は娑婆に復帰していた私も見ている。
杉浦、大らかに飛んでいる。
この後40年近く、早稲田美研60-70のグループ展などへの出品はあるが、絵描きとしての杉浦良允の雌伏の時が続いたと言えるかもしれない。
杉浦、サラリーマンとして飯を食ってきた。この間、私は杉浦を誘い、イスタンブールを皮切りに何度も海外へ行った。数えてみたらアジア、アフリカ、アメリカ、10回にわたり杉浦を誘って行っている。思うに、杉浦と一緒にどこかに行くのが好きだったっだんだ、私は。
前回個展から40年近く経っての2007年、銀座シロタ画廊での個展。
このページも。
素晴らしい色づかいじゃないか。
杉浦、模索している。
2008年、京橋「村松画廊」での個展出品作。
≪Three Wings≫。木材、アクリル。
どこへ羽ばたいているのだろう。三つの翼で。
色彩も素晴らしい。この色づかいならどこまでも飛んでいくよ。
2012年、銀座「ギャラリーオカベ」個展出展作。
左は、、≪Hexagon Work G≫。右は、≪Hexagon Work R≫。
制作年の記載がないが、杉浦、5、6年前、木を使った立体を作っていた。
幾何と言えば幾何、単純と言えば単純なのだが、何か不思議なものであった。
2015年の作品≪流れのぼる意思≫。
流れのぼる。
同年の≪吹き出す意思≫。
吹き出す。
最終ページ。
今年初めの早稲田美研60-70展に出品されていたこの作品で、「杉浦良允の軌跡」は終わる。
それにしても50年以上前、54年前のシェル美術賞展佳作の杉浦のこの作品、素晴らしい。
50年後の作品を凌駕する。
時代、年代っていうことは、そういうことなんだろう。
今日、ベルリンの壁が崩壊して30年となる。
ベルリンではメルケルも出席、記念の式典が催されているらしい。
ベルリンへは壁崩壊後であるが2度行き、残された壁を目にした。
今日、東京では天皇即位を祝う「国民祭典」が催されていた。
皇后・雅子さまがお元気なご様子、とても嬉しい。
おことば。
皇居前広場のすぐ後ろは大手町のビル群。