流山子雑録  『酔睡胡乱』


伊藤譲との別れ。


1月末、「はてな」によるこのブログの名称やシステム、仕組み、デザイン、その他もろもろのことが変わったので、戸惑っている。説明に従い、自分で対処してくれということだが、来月、78歳になる年寄りにはおいそれとは対応できない。
「はてなダイアリー」での9年7か月、2554回に及ぶ記述がこちらに移行ができればいいのだが、何度か試みるも上手くいかない。
が、すべて手さぐりであるが、文言を打つのと写真を取りこむのはできそうだ。大相撲初場所の千秋楽から1週間となる。その間、古い仲間である伊藤譲の通夜と告別式があった。
伊藤譲との別れ、記録しておきたい。


通夜の式場には伊藤の作品が展示されていた。
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このように。
今月開催の学生時代の仲間とのグループ展への出品作も含め。
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伊藤譲が極めていたデジタルアートである。
タイトルは≪無題≫。2005年の作。
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タイトルは、≪チャーリー≫。鉛筆画。
伊藤はこの犬を可愛がっていた。3年前に急死したのだが私のところも犬を飼っていたので、それ以前には伊藤からチャーリーの写真を送ってきていた。私もウチの犬の写真を返していた。
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≪旅出ちの河≫。2010年、デジタルアート。
10年以上行かなくなったが、インドへ何度か行っている。あの世への旅立ちの地・バラナシ(ベナラス)へも。その地のガンガー(ガンジス河)を思わせる。
しかし、この作品の岸辺に立つのは、どうも若い男と女。補陀落渡海や波羅密多の世界とは異なる。伊藤譲、ロマンティックなんだ。
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2年少し前であっただろうか、伊藤に待望の孫が生まれた。同時に2人も。ツイン、双子。伊藤、喜んでいた。
この作品のタイトルは、≪A Peaceful Day≫。2018年。伊藤譲の遺作、アクリル画。
ツイン・ボーイズがいる。そのお母さんがいる。そして、チャーリーがいる。まさに伊藤のピースフル・デイであることが描かれている。
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仲間の山宣がその写真を撮っているとその後ろの扉が開き、式場の模様が現れた。
翌日の葬儀、告別式でのこと、葬儀社の人が出棺の準備をしている間に、伊藤の写真がモニターに流れた。
その何枚か。
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学生時代の仲間との飲み会。
伊藤、何年か前から飲み食いができなくなり、栄養補給は胃瘻で行っていたが、仲間内の飲み会にはよく出ていた。
これはいつ頃のことであろうか。2年少し前に死んだ板谷が写っているので、3年ほど前のことであろうか。飲み食いはできないが、その場にいた伊藤、楽しそうであった。ここに写っている連中、みな学生時代のサークル仲間である。だんだん皆さん、後期高齢者となっている。で、2、3年にひとりずつこの世に別れを告げている。そういう年代である。
伊藤譲の急死、昨年末、12月にも普段通り会っていたので、みんな驚いた。その通夜には、学生時代のサークル仲間が13人参列した。その前後、ネットのメールでは、伊藤の思い出を多くの人が記していた。
そのひとつをコピペしよう。
伊藤と同学年、美術評論家である早見堯のメールの一部。
<一番の想いでは、一年生の秋、早慶戦の後、飲み会をやって、伊藤くんも含めた何人かが、西落合のわたしの下宿、四畳部屋に集まってまた騒いで泊まりました。
朝、下宿のおばさんが共同トイレにゲロはいて掃除もしないでとかと怒鳴り込んできたら、伊藤がものすごい反抗的な態度で応答したので、下宿にいづらくなり、同級生で後にベラスケスとスペイン美術研究第一人者になった大高保二郎くん(最初、美研でした)に手伝ってもらって引っ越ししたのでした。> 
ハハ・・・。
伊藤、喧嘩早かったんだ。そういう伊藤、カッコよかった。が、後年の早見堯の下宿のおばさんには、ごめんなさいねだな、やはり。
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10年近く前になるかもしれないが、奥多摩のこのようなところへも行った。
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<いつまでも色あせぬ面影を胸に・・・「ありがとう」>。
この言葉、伊藤譲の言葉でもある。が、それと共に、伊藤譲夫人である恵美子さんの言葉でもある。
「御会葬御礼」に記された恵美子夫人のそれに続く言葉、通常の会葬御礼の文言とは異なる体温を感じる言葉。とても自然であり、温かいものであった。