多摩美散歩(1) ポガティブ展。

この秋の初め、松浦延年さんから案内状をもらった。多摩美のアートテークでの展覧会の案内状。
昨年秋、河瀬和世さんに誘われ静岡袋井近くの樂土の森へ行った。現代美術の催しが開かれており、エッジの利いた何人かの作家と会い、その作品を知った。
昨日のブログ、小澤潔のおいしそうなパン屋さんの前を歩く男のことを記していてナンであるが、「人はパンののみにて生きるにあらず」、ということを肌で感じた、その時。皆さん、覚悟を決めている。
松浦延年さんともその時に知り合った。
ソリッド、ハイパーハードエッジな作品であった。
藝大には、ごく稀に行くことがある。しかし、多摩美には行ったことがない。秋の一日、行った。
新宿から京王線を2度ほど乗り換え橋本へ。そこからバスで、と千葉県からでは2時間半以上3時間近くの行程。でも面白かった。

多摩美八王子キャンパス案内板。
バスを降りたところ近くにある。

ここから。

ずいぶん昔、シカゴのノースウェスタン大学の構内を車で走ったことがある。シカゴに住む人の案内で。
広大な緑に覆われた敷地内に現れる建物があった。それとは規模がまったく違うが、シカゴのノースウェスタン大学の構内を思いだした、多摩美に。

学生が2人、芝生に寝そべっていた。
左の建物が、多摩美八王子キャンパス22号館のアートテーク。

「ポガティブ展」。」

ポガティブ、このようなことである。

入る。
松浦延年の作品だ。
なお、手前にあるのは、張ビンナの作品。

松浦延年の作品。

この作品。

こう。

この作品は・・・

これ。
深い湖の色。

これは、うーん・・・


昨日は、ここで眠っちゃったんだ。知らない内に。張本人の私が言うのもナンであるが。
この後、打ち加える。
昨日はどういうことを書こうとしていたのかは覚えていないが、今日は今日。今、頭に浮かんだことを打っていく。

松浦延年の作品、矩形の中に何かが圧縮されている。
その何かが何かは知らないが、何か突きつめ突きつめた何かであるようだ。
だから、矩形の中、画面に形がなくなる。線もなくなる。あるのは色のみ。深い深い色のみが、おそらく残った。それもおそらく多くの色を使った単色。突きつめ突きつめていくとそうなったのであろう、と考える。
上の写真は、その上の<これは、うーん・・・>で眠っちゃった作品を斜めから撮ったものだが、単色でもなければ線もある。隆起しているようにも見える。作家の頭の思考回路が変化したのであろう。
この微妙にして複雑な色調はその証左。

タイトルは、≪BLUE NO.391≫。制作年は今年。
言い忘れていたが、油絵である。

大きさが少し異なる赤い矩形の作品が二つ、哲学している。

説明書き、左右逆の模様だが、やや大きな右の作品は、≪RED NO.256≫制作年は2014年、左のやや小さな作品は、≪RED NO.365≫制作年は2015年。
”BLUE”にしろ”RED”にしろタイトルにあるナンバーは、おそらくその制作順につけた番号であると思われる。
と言うことは、2014年に描かれた≪RED NO.256≫から、2015年に描かれた≪RED NO.365≫までの間、この1年の間に100点を超える赤い作品が描かれた、ということではないか。
作家に確認していないのでその真偽は解らないが、そのような気がする。

左は≪BLUE NO.229≫、右は≪BLUE NO.364≫。

制作年は共に2015年となっている。
松浦延年、2015年の1年間に青い作品を100点以上描いた、ということか。張りつめた緊張感を持った作品を。
驚く。

松浦延年作品が展示されている後ろ側を見る。中空に何か不思議なものがある。

これである。
なにやら古代の象のようなアリクイのようなヘンなものが囲いに囲まれ浮かんでいる。

タイトルは、はて何と読むんだろう。
<宇宙資料、和紙、ロウ>というのも、何やら不可思議。
ンッ、宇宙ってか。じゃ、タイトルの見慣れない文字は、「私はカモメ」の「チャイカ」かもしれない。

さすが多摩美である。
アートテークの展示場は広い。隣へ移る。

こちら。

こちら。
ゆったりと展示されている。

すぐ前のこれは・・・

こういう作品。

その後ろのこれは・・・

松浦延年の作品の前にもあった張ビンナの作品。不思議な存在感を醸し出している。