バスキア、10代最後のとき。

アーティストは若死がいいね。夭折と言われるのが。でき得れば20代、ギリギリでも30代で。
ジャン=ミシェル・バスキア、1960年に生まれ1988年に27歳で死んだ。
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”NOW SHOWING”となっているので、シネコンでかかったのか、と思ったらやはりそうではなかった。恵比寿ガーデンシネマでの封切りであった。。
バスキア、70年代末から80年代の、煮えたぎるようなニューヨークの町中で生きた。
バスキア、ブルックリンで生まれイーストヴィレッジあたりを徘徊していたようだ。このころのニューヨークは、あちこちヤバイところがいっぱいあった。ニューヨークの治安がよくなるのは、90年代に入りジュリアーニが市長になってから。バスキアの10代後半の70年代から27歳で死ぬ80年代のニューヨークはヤバかった。
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1980年暮れ、ジョン・レノンがダコタ・アパートの前で殺される。
以前銃撃を受けたが生き返ったアンディ・ウォーホルは、80年代に入りセレブたちのポートレートをシルクで作りはじめる。金を取って。それはそれ。ウォーホルも1987年までしか生きないのだから。
ニューヨークのストリートから新しいアートシーンが生まれる。バスキア、ウォーホルとも出会う。二人で展覧会もやるようになる。
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バスキア没後30年記念製作とある。
監督:サラ・ドライバー。ジム・ジャームッシュのカミさんだそうだ。
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バスキア、ライブハウスでクラリネットを吹いている。
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70年代末から80年代のニューヨーク、ヒップホップ、パンクロック、ジャズ、ファッション、文学、そしてアート、それらが混じりあい幾つものムーブメントが生まれる。
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バスキアが死んで30年近く経ち、お騒がせ男、ZOZOの前澤友作が左の作品・≪Untitled≫を123億円で落札、世間を騒がせた。
右は、≪Self Portrait≫。こちらの方が前澤友作のものよりいい。洒落てる。政府からの一律給付金10万円で買えるなら買いたいな、と思うが、ンなことあるわけないだろう、という声が飛んできた。桁が5つ6つ違う。
酔った頭にも、それは届いた。
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1970年代末から80年代にかけての作家たち、中でよく知られた作家は、ジュリアン・シュナーベル(3日前の『永遠の門 ゴッホの見た未来』の監督である。多彩な男である)、キース・ヘリング、そしてジャン=ミシェル・バスキア。ニューペインティングの作家と呼ばれる。
ストリートアートがニューペインティングとなり、天才伝説が拡散していった。
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ニューヨークのグラフィティ。
ジャン=ミシェル・バスキア、1988年8月12日に死ぬ。享年27。死因は、薬物の過剰摂取。