湖北・長浜逍遥(3) 国友鉄砲の里資料館(続き)。

鉄砲鍛冶の里・国友、先端技術の技能集団であるから特異な才も出てくる。

1階展示室へ。

望遠鏡がある。

鉄砲鍛冶、国友藤兵衛・国友一貫斎である。

一貫斎が作った反射望遠鏡。

このような説明がある。

上2つは、月面観測図。
下右は、星之図。下左は、太陽黒点観測図。
いずれも天保7年(1836)一貫斎の観測。

時代が不明であるが、国友村の絵図。
司馬遼太郎『近江散歩』によれば、<江戸期の最盛期には、鉄砲製造をしている家が80戸もあったという>。

拡大してみる。
中央に薄紫色の年寄脇、国友藤兵衛の文字が見える。一貫斎の家である。

先端技能の里、文化人も生みだす。

例えばこの壁面。

茶人・辻宗範。

この壁面は鉄砲。

来館者への問題用紙も。

その下のみ複写する。
火縄銃各部の名称である。憶えたとて、どうなるものではないが。

外へ出る。
<国友村は、湖のそこのようにしずかな村だった。家並はさすがにりっぱで、どの家も伊吹山の霧で洗いつづけているように清らかである。道路に人影が見あたらなかった>。『街道をゆく24 近江散歩』「国友鍛冶」の中で、司馬遼太郎はこう記している。
その時から34年が経つつい先日も、そのありさまはまったく変わっていなかった。
資料館でもそこの人以外誰にも会わなかったが、外の道路にも人影はまったくなかった。車さえ走っていない。
シバリョウが記すように「湖のそこ」、「琵琶湖の湖底」なのかもしれない。
少なくとも、時間は停まっているように感じた。

私が資料館にいたのは1時間足らず。
このような街並みを見ると、少し歩いてみたくなるのだが、残念ながらそれができない。次のバスを逃すと、その次のバスは2時間半経たないと来ないから。
このような人がいない、車も走っていない、食堂もない、コンビニもない、ないないづくしの中で2時間半を待つことは不可能。戻ろう。

≪星を眺める少年≫。
国友一貫斎をイメージしたものであろう。

国友鉄砲の里資料館の前の側溝の覆いには鉄砲の絵柄。鉄砲鍛冶、しずかに息づいている。


今日、ニューヨークでのクリスティーズのオークション、レオナルド・ダ・ヴィンチの≪サルバトール・ムンディ≫が手数料等込み4億5千万ドルで落札された、という。日本円にして500億円。
7000万ドルから始まりたちどころに4億ドルへと跳ね上がったようだ。
買い手は、おそらく投機筋。10年後あたり、1、2億ドルぐらいのサヤを稼ごうって魂胆でいるのじゃないか。