湖北・長浜逍遥(2) 国友鉄砲の里資料館。
日曜日、大阪から乗った新快速では、彦根に住む従妹のJと一緒であった。J、琵琶湖の周り、めっちゃ詳しい。長浜へ行くならば、まずお薦めは、渡岸寺の十一面観音と国友村である、と言う。
翌日、台風は行き去ったようだが、まだその余波の風が吹いている。竹生島への船は動いていないが、バスは動いている。国友の鉄砲の里資料館へ行った。
乗客は私を含め2人のみ。ノンストップ、15分程度で国友鉄砲の里資料館前へ着いた。
畑の中を走っていたバスが国友の集落の中に入ると、周りの空気が一変する。張りつめる。
ところで、芭蕉の『奥の細道』と並ぶ我が国紀行文学の双璧と私が勝手に呼ぶ司馬遼太郎の『街道をゆく』は、1971年1月初めの週刊朝日「湖西のみち」から始まっている。
<「近江」
というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。・・・・・、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている>、と司馬遼太郎は書きだす。
そして1984年1月、<このシリーズは、14年前、近江からはじまった。「もう一度、近江にゆきましょう」というと、須田画伯が小首をかしげた。といって、・・・・・>、『街道をゆく』24、「近江散歩」は、こう書き出される。
司馬遼太郎、近江、国友へ行く。
そして私も、国友へ。
国友鉄砲の里資料館。
国友、天領であった。
資料館の入口にこういう碑がある。
司馬遼太郎の『街道をゆく』の「近江散歩」の一節。
国友鉄砲鍛冶、飛躍の原動力はネジなんだ。
資料館へ入る。ここで10分ばかりの説明を受ける。
この日は、私ひとりだけ。
2階の展示室へ入る。
多くの鉄砲が並ぶ。
近寄る。
鉄砲製造の道具類も。
短筒。
鉄砲の玉である鉛玉。
3分玉から100匁玉まで。
右手の火縄銃、手に取ることができる。
手に取ってみて驚いた。とても重い。
国友の鉄砲鍛冶。
鉄砲、このような工程で作られた。
こちら側を見る。
国友鍛冶の大筒。
国友から各地へ。
こう。
大筒。
銘 江州国友大興助勝正。
総重量 12.5kg、全長 120.3cm、口径 25.00mm、20匁大筒。
今となっては愛おしくなるようなその姿。