黄金のアデーレ 名画の帰還。

20世紀も終わろうとする1998年、アメリカ在住のマリア・アルトマンがオーストリア政府を訴えた。
その時マリア・アルトマン、82歳。駆け出し弁護士のランディ・シェーンベルクと共に。
マリア・アルトマンの主張はこうである。
今、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿内のオーストリア・ギャラリーに展示されている≪アデーレ ブロッホ=バウアーの肖像≫は私のものだから、正当な所有者である私に返してくれ、というもの。
≪アデーレ ブロッホ=バウアーの肖像≫は、世紀末ウィーン、ウィーン分離派の中心人物、グスタフ・クリムトの代表作のひとつ。金箔が多く用いられている故に「黄金のアデーレ」。
マリア・アルトマン、クリムトが描いたアデーレ・ブロッホ=バウアーの姪にあたり、伯母の遺言により自分が正当な所有者である、と。
ここにも戦争と芸術の物語がある。
マリア・アルトマン、1916年にウィーンの裕福なユダヤ人家庭に生まれ、若くして富裕な事業家、フリッツ・アルトマンと結婚する。
が、1938年3月13日、ヒトラーによりオーストリアは占領される。ナチスドイツによるオーストリア併合である。ナチスドイツ、美術品を含む価値あるものを収奪した。マリアの伯母であるアデーレ、ブロッホ=バウアーがグスタフ・クリムトに描かせた≪アデーレ ブロッホ=バウアーの肖像≫も。
ユダヤ人であるマリアとフリッツ夫婦は、スイスを経由しアメリカへ亡命する。
1943年、≪アデーレ ブロッホ=バウアーの肖像≫はウィーン、ベルヴェデーレ宮殿のギャラリーに展示される。ナチスドイツが敗れ、オーストリアが独立を取り戻した後も。

『黄金のアデーレ 名画の帰還』、マリア・アルトマンの実話に基づいている。
監督はサイモン・カーティス。マリア・アルトマンには名優、ヘレン・ミレンが扮している。

グスタフ・クリムトが、アデーレ・ブロッホ=バウアーの求めに応じその肖像を描いたのは1907年。

(左)マリア・アルトマンと駆け出し弁護士、ランディ・シェーンベルク。
(右)ハーケンクロイツが掲げられている中、若き日のマリアとフリッツ、ウィーンを脱出する。

(左)マリアの幼少期、ウィーン時代の優雅な暮らしであろうか。
(右)1998年、作品の返還を求める訴えを起こし、途中さまざまな紆余曲折があるのであるが、2006年、グスタフ・クリムト≪アデーレ ブロッホ=バウアーの肖像≫のマリア・アルトマンへの返還が決定される。
マリア・アルトマン、この訴訟にかけていた駆け出し弁護士、ランディ・シェーンベルクの手を押しいただく。

グスタフ・クリムト描く≪黄金のアデーレ ブロッホ=バウアーの肖像≫、2006年、マリア・アルトマンの許へ帰還する。
同年、ニューヨークでオークションにかけられ、エスティ・ローダーのドナルド・ローダーが落札する。落札値、1億3500万ドル。今、ニューヨークのノイエ・ギャラリーに展示されている。

ベルヴェデーレ宮殿を訪れた時求めた図録が出てきた。1995年5月4日という書きこみがある。その書の≪アデーレ ブロッホ=バウアーの肖像≫を複写する。
ベルヴェデーレ宮殿内のオーストリア・ギャラリー、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレのこれという作品が展示されている。
クリムトの≪接吻≫、≪ユディト≫、私が訪れた時には≪アデーレ ブロッホ=バウアーの肖像≫も展示されていた。
その10年少し後、この作品はニューヨークへ渡り、150億円ばかりで新しい所蔵者へ移ろっていったようだ。