今日の高尾。

高尾と言っても、京都・嵯峨野の奥の三尾、栂尾、槙尾、高尾の高尾ではない。東京の西、高尾山の麓の高尾である。
毎年恒例の学生時代の友人である久木(どうぶつ社をたたんだ久木亮一)との墓参り。参る相手はやはり学生時代の友人である、じゃこめてい出版で限られた範囲ではあるが一時代を画した青木。じゃこめてい出版の仕事をしていた女性ふたりも。
墓は、高尾の東京霊園。
毎年7月末から8月初めにかけてピーカンのことが多いが、今日は薄曇り。細かい雨も降った。

青木死して21年となる。
墓所の一隅にご母堂が建てた小さなお地蔵さまがある。
   息子の急逝
    ひねもす母の
     ひとりごと
と刻まれている。

久木から般若心経の紙片を渡された。
般若心経、私は、今月初めにも京都の西芳寺でも唱えている。
心落ち着け、急ぐことなく自然に唱えた。

今日の高尾の東京霊園、ややどんよりとした薄曇りであった。
青木の墓に行く前、大きな瓢箪が墓石の前にある墓に人が来ていた。大きな瓢箪がある墓、毎年気になっていた。失礼に当たらぬように声をかけた。「瓢箪がお好きだったのですか」、と。
お参りに来ていた女性はこう答えた。
「ここには私の父が入っているのですが、これを作ってくださった方が、父のイメージがこうであったということでこれを創ってくださったんです」、と。瓢箪は石彫、葉や蔓は金属、銅工芸、それが自然石の上に乗っている。
その方のお父さまがどのような人か、その人から瓢箪をイメージし創作した作家はどのような人か、礼を失することがなきよう、そのようなことは一切訊かなかった。
ただ、面白かった。

墓参の後は、立川で飲むことが多い。
が、今日の立川、駅の内外ごった返していた。花火があるそうなんだ。いつも行く店は満員満席であった。それならば、と久木が案内した店には入ることができた。4時半ぐらいに入り、7時半すぎまで、3時間以上飲んでいた。
実はその店に行く前、雨の中を歩いている時、立川最大のカラオケという看板を見かけていた。8時ごろ、そこへ入った。
<りんごのはなびらが・・・>、って、美空ひばりの「リンゴ追分>に決まってる。
じゃこめてい出版の数々の出版物の装幀やデザインをしていた男、一昨年死んだ。その男のカミさんであるchikaさん、めっぽう歌が上手い。
去年もリンゴ追分を歌った。代々木のカラオケで。ぐでんぐでんの状態で。今年は立川のカラオケで、意識明瞭な状態で。

暫らく前に死んだ平尾昌晃の「ミヨちゃん」。
1959年の曲である。そうだよな。そうであった。
平尾昌晃、私たちより4、5歳上。当然、「星は何でも知っている」も入れる。
久木、「これよく聴くと、つまんない詞だよな」、と言う。
「当たり前だ。16、7歳の高校生と、75、6歳の後期高齢者であるじいさんと一緒にしちゃいけない。」、と。
16、7の頃にはしびれたんだ。それから60年近く経った今では、・・・・・である。
昨日記した京都・嵯峨野の化野念仏寺がらみの『徒然草』第7段の後半にこのような文言がある。
<命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ>、との。
40に足らぬくらいで死んでいくことこそ見苦しくない生き方であろう、と兼好法師は言っている。
40に足らぬくらいって、後期高齢者である私たちは40歳の倍近くになっている。
どうすりゃいいんだ。
ありのままでいいんじゃないか。ノーテンキにカラオケに行っていても、いつ「余命3か月です」なんてことを言われることがあり得るのだから。
今日の高尾、このようであった。
ああそうだ、あとひとつ。
立川のカラオケ、シニア割引きがあった。3割ほど安くなった。ベラボウに安かった。