92歳のパリジェンヌ。

若くしての死は切ないが、年をとってからの死はどうなのか。超高齢社会となった今、いかように死ぬか、ということが大きな問題となる。

『92歳のパリジェンヌ』、大統領がミッテランだった時、首相を務めたリオネル・ジョスパンの母親の実話をもとにした物語である。
子や孫にも恵まれ、幸せな老後を送っているパリのおばあちゃん・マドレーヌ、92歳の誕生日に集まった家族の前で驚くべきことを述べる。「2か月後の10月17日に私は逝きます」、と。
息子は怒る。娘は動揺する。孫は「おばあちゃん、なんてことを」、というありさま。が、92歳となったパリジェンヌ・マドレーヌ、ずっと信念を貫いた人生を送ってきた。
助産婦をし、難民問題(難民問題、今に始まったことではない)、アフリカの女性支援、と社会活動家でもあった。息子がミッテラン時代の首相となった男だから、そのおっかさんであるマドレーヌも当然左派。
自分のやり方を曲げない。頑固といえば頑固である。やると言ったらやる、と宣言する。

脚本・監督は、パスカル・プザドゥー。女流である。
原作は、リオネル・ジョスパンの娘・ノエル・シャトレの著『最後の教え』。だから、原作者と映画での娘・ディアーヌが重なる。
マドレーヌにマルト・ヴィラロンガ。そして初めはとまどうが、次第に母親に対し理解していく娘のディアーヌに、これぞフランス人女優の一典型・サンドリーヌ・ボネール。

母と娘、パリジェンヌ二人。

息子(映画での息子のキャラクターは、現実のリオネル・ジョスパンとは変えてあるそうだ)、娘、孫たちに囲まれるマドレーヌ。

この作品、尊厳死を問うている映画である。
マドレーヌはまだ気力があるうちに、自分の手で自らの人生に幕を下ろしたい、と願っている。
理由はある。「自分でやれなくなったリスト」の項目が増えていったり、家で倒れボヤを出したり、オネショをしたり、オムツ生活になったり、と。だから、まだ気力があるうちに、と考えているんだ。
尊厳を保つ死を、と。
尊厳死については、この雑ブログでも何度も記している。この年初には、私自身25年ぐらい前から会員になっている日本尊厳死協会についても詳しく記した。
92歳のパリジェンヌ・マドレーヌ、自らが望む死を成しとげたいのだ。最後まで尊厳を保って、凛として生き、死んでいきたいんだ。

娘のディアーヌも次第にそのような母親を理解し、支える。
マドレーヌが宣言したその日まで。
「お腹がへったね。何か太るものを食べようよ」、「ソーセージ?」、「 そんなものじゃなく高級なもの」、「カキ、サーモン、オマール海老」、こういう母と娘の会話のあと、二人はキャビアを食べながら最高のシャンパンを飲む。
会いたい昔の恋人もいる。遠いからいい、とマドレーヌは言うが、娘のディアーヌは長距離を連れていき二人を合わせてやる。

なんて素敵な母と娘。
映画は、重いテーマを扱いながらも多分にコメディタッチも含め進行する。
凜とした生を全うする母とそれを支える娘。観てから時間が経っているのでしかとは覚えていないが、最後、涙したのではないか。
バックにジルベール・ベコーの「そして今は」が流れる。今までのことごとが歌いあげられる。すぎ去った恋の痛みが。