たかが世界の終わり。

劇作家として売れている男が田舎の実家に帰ってくる。12年ぶりの帰郷である。
30を幾つか越した男。余命いくばくもない、もうすぐ死ぬ、ということを家族に告げるため。

『たかが世界の終わり』、家族を巡る物語。
12年ぶりに次男が帰ってくる。母親は息子の好きだった料理を作り、マニキュアもして待ち受ける。お兄ちゃんが家を出ていった時にはまだ小さかった妹は、おしゃれをしてお兄ちゃんを待つ。しかし、弟が出て行ったあと男手ひとりで家を支えてきた兄貴は、おもしろくない。何を今さら、と。12年前にはいなかった兄貴の嫁もいる。第三者的な位置づけである。

監督は、グザヴィエ・ドラン。今、28歳。天才と呼ばれている。確かに、天才の域にある。
『サンローラン』を見落としているのでギャスパー・ウリエルはお初であるが、レア・セドゥ以下の4人はお馴染み。美男美女ではないが、いかにもフランスの役者、という味がある役者揃い。

12年ぶりに帰ってきた次男を含め家族5人、食卓を囲む。
主人公の次男、なかなか「自分は間もなく死ぬ」、ということを言いだせない。愛も含め、家族のことごと、やりきれない。

お母ちゃんだ。
家族を扱った映画、先般の『ムーンライト』も『マンチェスター・バイ・ザ・シー』も、また近々記そうと思っている『湯を沸かすほどの熱い愛』もそう。やりきれなく、切ない。

右は妹。左は兄貴夫婦。
この映画、会話劇でもある。
兄貴、弟が自らの死が近いことを伝えることができない内に、弟を追い返す。
「死」、「たかが世界の終わり」。
切ない。