「住み果つる慣らひ」考(13)。

今月初め、日本尊厳死協会の会報「Living Will」 No.169が届いた。
日本尊厳死協会については何度か触れている。近場では昨年1月にかなり詳しく記した。巻頭に、小泉純一郎を囲んだ座談会が掲載されているNo.164の時。
今一度、リビング・ウィル、そして日本尊厳死協会へ少しでも多くの人に関心を寄せていただきたい、との思いが募る。と言うのも、今号に日本尊厳死協会の会員は11万・・・、という記述がある故である。
カミさんとふたり、日本尊厳死協会の夫婦会員になったのは25年ほど前になる。
その頃の会員数は憶えていないが、10年ぐらい前の会員数は10万人前後じゃなかったか、というおぼろげな記憶。会員数があまり増えていないんじゃないか、と思われてならない。「尊厳死」の法制化のためにも、もっともっと多くの人が関心を寄せ、会員にならなければ、と。

日本尊厳死協会の会報「Living Will」、年に4回送られてくる。
最新号のトップ記事は、北方謙三へのインタビュー。
中上健次や立松和平と新宿ゴールデン街で喧嘩した話(3人とも喧嘩は強そうだが、中上健次の腕力が飛びぬけていたろう。余計なことだが)も挟まれる。が、メーンは人生の最後。
北方謙三、こう語っている。「従容として受け入れる」、と。

北方謙三のお母さん、延命処置は望まない、という信念を表明していた。

息子である北方謙三も、母の固い意思を貫いた。
今号の「2017年 ご遺族アンケート結果」では、9割以上がLW(リビング・ウイル」は受け入れられた、と答えている。
そういう時代になりつつあるとは思う。が、それにしては日本尊厳死協会の会員は少なすぎないか。

以前にも載せたことがあるが、今一度。
「リビング・ウイル」の勧めを。


この人は素晴らしい人だな、と思われる医者がいる。医者以前に人間として、と言ってもいい。
特養の医師・石飛幸三という人物である。
石飛幸三著『「平穏死」のすすめ』(講談社 2010年刊)を読む。副題に、「口から食べられなくなったらどうしますか」、とある。
石飛幸三、血管外科医であったが特養の配置医となり、いよいよ末期となった人は、いかに死ぬのがいいのかということを考える。
胃瘻や点滴といった延命措置を考え直す。
石飛幸三、自然に死ぬために戦う。平穏な死を考え、それに貢献するのだ。
で、石飛幸三、「平穏死」という言葉を思いつき、使う。
「平穏死」、当然のことながら「安楽死」とはまったく異なるものである。その概念は「尊厳死」と近い。しかし、「平穏死」という言葉は、「尊厳死」という言葉よりもより人々の肌になじむ言葉かもしれない。
多くの高齢者が認知症になる。そのような人に胃瘻その他の処置がほどこされる。と大多数の人が誤嚥性肺炎になるそうだ。
余計なことはしない方がいい。
<老衰のため体に限界が来て、徐々に食が細くなって、ついに眠って静かに最期をむかえようとしているのを、・・・・・、・・・・・。もう寿命が来たのです。静かに眠らせてあげましょう。これが自然というものです。これが平穏死です>、と心ある医師・石飛幸三は語る。
このような死、山折哲雄が記す昔の優れた宗教家たちの断食往生にも通じるものではないか。
平穏死であり、尊厳を保った死でもある。