「住み果つる慣らひ」考。

もう一年以上前となる。昨年3月中旬、私はこの「流山子雑録」に『私の「あと千回の晩飯」』を記した。
そのひと月ほど前からどうも身体の具合がおかしく、なにかヘンな感じがし、ブログも丁度一か月ばかり休んだあと、一か月ぶりに記したタイトルであった。もちろん山田風太郎の名エッセー『あと千回の晩飯』を借用したタイトルである。
千回、約3年であるが、それから1年が経ってしまった。
速い。
その間、昨年秋には肺炎になり10日間入院、今年2月にはまた何だか身体の具合がヘンだなという状態が続き、病院へ行ったらまた肺炎。今回は12日間入院し、退院した。
入院中は1日4回、6時間毎に抗生剤を投与する。で、「退院していいですよ」、と医者が言うので退院するのであるが、実は先般、肺炎が完治したから退院したのではないことが解かった。症状がひとまず治まったから「退院していいですよ」、と医者が言っているのだと言うことにすぎないことに。
先般、退院後1か月少しの診察に行くと、医者は血液の数値とレントゲン写真を見て、「少しよくなっていますね」と言う。
「少しよくなっていますね」って、オレはまだ完治していなかったのかって初めて分かった。
病院には次々と患者が来る。症状がある程度治まった患者は、早々に退院させてしまわなきゃならないんだろう。
今の日本、年寄りが多く、それ故にさまざまな病人がいるんだ。私もそのひとりであるが。まだ生きているという年寄りが。
そう言えば昨秋、私を肺炎だと断定し病院へ送りこんだ近所の町医者の先生は、こう言って私をおどした。「年寄りの肺炎は、ヘタすれば死んじゃうぞ」って。
たしかに、心筋梗塞とか肺がんとか脳何々とかといった死因の一丁目一番地、派手な病名で死ぬ人は多いが、年寄りの死因で意外に多いのが肺炎である。私も、いつ死んでもおかしくない。近所の町医者の先生の言うとおり。
ところで、実は先日、77歳となった。喜の字の祝い、喜寿である。丁度孫娘がピカピカの一年生となる。間もなく孫坊主が満1歳となる。で先日、3つの祝いを兼ねた食事会を持った。私とカミさん、娘夫婦に孫2人の6人で。
この時季、さまざまな行事がある時季、私の住む地域でもこれという料理屋の予約が取りにくい。それでも婿殿が奮闘、中国料理屋の一室を確保してくれた。孫たちと飯を食った。
オレも77歳、ピカピカの一年生や、まだ意味不明の言葉をデカい声でどなっている間もなく満1歳になる孫坊主にバトンタッチだな、と思う。

それはそれであるのは、いいとしてである。
オレはこれからどう生きていけばいいのか、どうやって死ぬのがいいのか、という問題を考える。
死の形って難しい。
最後の最後まで生きようとする人もいる。何が何でも生きようなんて思いたくない、尊厳ある死を迎えたいと思う人もいる。私は、後者である。


昨夜、今年1月に自死した西部邁の自殺を手助けしたとして、2人の男が逮捕された。
自殺幇助罪。
「先生の死生観を尊重して力になりたかった」、「先生のためにやらなくてはならないと思った」、と逮捕された2人は言う。まさにそのとおり。
西部邁は幸せであった。このような2人がいて。


暫らくの間、残された時間、どのように生き、どのように死ぬのがいいか、と考える。というより私は果たしてどうしたいのか、ということを考えます。
そう長くはない。
これからどう生き、どう死にたいかってことを。先人の言葉を指針に。