タイ 〜仏の国の輝き〜展。

日本も仏教国であるが、仏教国というイメージがはるかに定着しているのはタイである。生活の中に仏教が生きている。男の子は一度は出家しなければならない、という古くからの決まりが、今どれほど厳格に守られているのかは知らない。しかし、黄色い衣のお坊さんをあちこちで見かける。やはり、ある程度は守られているのだと思う。

この夏の東博・トーハク正門前。
タイから多くの仏さまがお見えになった。
この看板の中央の立像は、スコータイ時代・14〜15世紀の≪仏陀遊行像≫。タイ仏教美術を代表する優品、いわゆる「ウォーキングブッダ」である。

今年は、日タイ修好130周年にあたるそうだ。
それを記念する特別展。

タイ、さまざまな王朝が起こっては消え、起こっては消えの歴史を繰り返してきた。
日本のような島国ならば、外敵襲来は元寇と幕末の黒船ぐらいである。しかし、地続きの大陸の国は、周り中が敵国。四六時中、攻めたり攻められたりしている。
その例にタイも漏れることはない。あちこちの国とやっつけたり、やっつけられたりしている。で、さまざまな王国、王朝が出現したのだろう。
音声ガイドには、さもありなん、みうらじゅんといとうせいこうの「見仏記」コンビが特別出演していた。彼らふたり、「タイ仏像大使」にも就任しているんだ。
彼らふたりの語り、ただ何でもないことをべらべらと喋るだけだが、それがだんだんすーっと入ってくるようになった。以前の音声ガイドでは「お前たち、うるさいよ」、と思っていたこともあったが。慣れかもしれないな。
写真は撮れないが、展示品は素晴らしかった。
興福寺にある山田寺の仏頭を小さくしたような仏頭や、秋篠寺の「伎芸天」を思わせる少し腰をひねった「菩薩立像」が記憶に残る。

タイ 仏の国の輝き展の撮影スポットはここ。

皆さん、この大きなものにスマホを向けている。

こういうものなんだ。

近づくと、精緻な彫刻がほどこされている。
日光の陽明門の彫刻を思わせる。
この中に、猿、リス、人面鳥、蛇に食われる蛙、猪、虎などが彫りこまれているそうだ。

大扉、その裏側には、このような絵が描かれている。

この大扉、このような経緯で修理され、今回日本へ来たそうだ。

大扉の後ろの金ピカの仏さまは、本物ではない。大扉の背景として引き伸ばした写真を貼りつけたものである。
しかし、展覧会へお越しいただいている金ピカの仏さまは、残念ながら撮影できない。
7年近く前、チェンマイの高橋の別荘に招かれた。1週間、チェンマイのお寺や北の国境地帯の町へ行った。ミャンマーやラオスにも入った。あちこちの寺へ行った。
その折りの金ピカの仏さまを何点か複写する。






10年少し前、アユタヤへ行った。
アユタヤ、山田長政の地である。
山田長政は、1630年に暗殺され、アユタヤ王朝も1767年に滅びる。ビルマ(ミャンマー)の王朝に滅ぼされたらしい。
それはともあれ、私がアユタヤへ行った時には、黄色い布を身につけた仏さまがおられた。

それと共に、このような仏さまもおられた。
首を切り落とされている。

ここでは結跏趺坐・蓮華座の仏さま、すべての仏さまの首が斬り落とされている。

この仏さまは、胸から上がスパーと。
ヒンドゥー、イスラム、さまざまな文明とのせめぎあいがあったんだ。