ダライ・ラマ14世。

マハトマ・ガンジーにしろ、ネルソン・マンデラにしろ、昨日のマーティン・ルーサー・キングJr.にしろ、巨大な理不尽と戦ってきたきた人に共通するものは、「非暴力」である。ダライ・ラマ14世も然り。
1949年、毛沢東、中華人民共和国の樹立を宣言する。翌1950年、中国人民解放軍がチベットへ侵攻、制圧する。1959年、ダライ・ラマ14世、インドへ亡命、ダラムサラにチベット亡命政権を樹立する。それから半世紀を超える。

”平和ってなんですか”って書かれている。
ダライ・ラマ14世、中国政府へ非暴力で立ち向かう。1989年にはノーベル平和賞を受賞した。
ダライ・ラマ14世、こう言う。「暴力からは何も生まれない」、と。

『ダライ・ラマ14世』、企画・撮影:薄井一議/薄井大還、監督・構成・編集:光石富士朗。
足かけ6年、ダライ・ラマ14世という存在に迫ったドキュメンタリーである。

渋谷ユーロ・スペースのロビー壁面には、ダライ・ラマの写真が貼られている。

ダライ・ラマ14世、本名テンジン・ギャツォ。1935年7月6日、チベットの農家に生まれた。
3歳の時、ダライ・ラマ13世の転生者として認定され、5歳でダライ・ラマ14世として正式に即位した。
上の写真の少年、4つか5つぐらいであろうか。田舎の鼻たれ小僧にも見えるが、その眼差し、意思の強そうな感を受ける。やはり。さすが。

2012年、インド・ダラムサラでのダライ・ラマ14世猊下である。

やはりダラムサラでのダライ・ラマ14世。
室内マシーンでトレーニングをしている。

ダライ・ラマ14世、1967年以来日本へはトランジットを含め26回来ている。
講演、法話、対話、さまざまなことを人々に伝える。
上は、2010年11月、大阪でのダライ・ラマ14世。
黄色いマスクが外れているが、そんなことは意に介さない。ダライ・ラマ14世、とても大らか。

2008年11月、福岡でのダライ・ラマ14世。
ダライ・ラマ14世、お腹の大きな女性のお腹に耳を寄せる。オイオイそれはパパになる若い男の役目ですよ、と思わず声が出る。
ダライ・ラマ14世、そんなことお構いなし。お茶目なんだ。

これは2008年11月、東京でのダライ・ラマ14世。
「髪を伸ばすとしたら、どんな髪型にしますか?」、という若い男の質問に答えたもの。「こういう髪形かな」ってポーズした。
チベット仏教の僧侶が儀式の時に被っているトサカのような帽子かな、と思ったが、おそらく違う。
ダライ・ラマ14世、以前ベッカムが世界中に流行らせた、頭の真中を尖らせたあの髪形をイメージしているに違いない。いや、ダライ・ラマ14世、お茶目でユーモア溢れる人なんだ。
日本の若者たちの質問に、「アイ ドント ノー」と答えることもしばしば。「そんなこと、私は知らないよ」、と。冷たくしているワケじゃないんだ。「それは、あなたがご自身で考えたら」って言っているんだ。その素っとぼける様も面白い。とても人間的。
人間的と言えば、観音菩薩の化身と言われるダライ・ラマ14世、こういうことも言っている。
「私は、普通の一人の人間です。神でもなければ、(中国が言う)悪魔でもありません」、と。
なお、ダライ・ラマ14世の現在の中国政府に対するスタンスは、「チベットの独立は求めず、高度な自治を」、というものである。北京との対話の再開を待っている。
映画終盤、ラダックでの大勢の僧侶による五体投地の模様が流れた。
五体投地、感動する。
インドには何度も行っているが、ダラムサラにもラダックにも行っていない。が、チベットの人の五体投地、やはりチベットからの亡命者の多いネパールで見ている。カトマンドゥ近郊にボダナートという町がある。町の中心に大きなストゥーパがある。そのストゥーパの周りで五体投地をする人を。
その無、霊的な動きに、やはり、身震いがする。

目の前のダライ・ラマ14世に、お母さんは感極まった表情であるが、小さなボクはこのお坊さんに興味津々という趣き。