ヴィオレッタ。

昨日のブログ、最後のところなんか、何を書いていたのだか支離滅裂。
コピペすると、こう。
<ジョン・デュポン、警察官と一緒に拳銃も打っている。腕も相当。敷地内に戦車か装甲車といったものも持ってくる。
で、殺人事件も起こる。
夜半の新宿、人多し。>。
たしかに、夜半、酔って帰ってきたのだが。
字は間違ってるし、いきなり殺人事件だし、と。最後のフレーズも分からない。昨日の夜いたのは、新宿じゃなく渋谷だったのだが。ボーとした頭で、ともかく終りにしちゃえってことになったようだ。訂正はせず、そのままにしておく。


昨日の『フォックスキャッチャー』は、デュポン財閥の御曹司ジョン・デュポンと、オリンピックチャンプであるシュルツ兄弟の愛憎を描いたトゥルー・ストーリーであるが、今日の『ヴィオレッタ』もトゥルー・ストーリー。伝記映画である。
フランスの女優・エヴァ・イオネスコの初長編監督作品。
自らの過去を、監督として自ら映画化した。自伝的映画、と言ってもいいのであろう。

『ヴィオレッタ』、2011年の作品。第64回カンヌ国際映画祭の批評家週間50周年記念作品として上映されたそうだ。絶賛と非難、双方の声を浴びたそうだ。倫理にもとる、との意見も多く。
日本でも映倫の審査、揉めたそうだ。暫らく公開されなかった。児童ポルノ云々、ということなんだ。
私が観たのはふた月ほど前であるが、去年末か今年初めには公開されていたのではないか。

1977年、エヴァ・イオネスコの母親であるイリナ・イオネスコの写真集『エヴァ(鏡の神殿)』が発売される。10歳前後の我が娘・エヴァを被写体とした写真、シュールとバロックをかけ合わせたような作品。反響を呼ぶ。
母親であるイリナ・イオネスコ、娘のエヴァ・イオネスコを被写体に、自らの美意識を追い求める。
母親のイリナ・イオネスコに扮するのは、何とも言えないイザベル・ユペール。娘のエヴァ・イオネスコに扮するのは、10歳の美少女アナマリア・ヴァルトロメイ。
エヴァ・イオネスコの映画での役名は、ヴィオレッタ。

少女ヴィオレッタ、妖しい美しさになっていく。

母・イリナ・イオネスコは、娘にニコンを向ける。
自らが母親からモデルを強いられたように。

左は、娘のヴィオレッタ。右はその母親のエヴァ。

ヴィオレッタ、学校でもからかわれるんだ。ヌードモデルをやっている、と。
ま、たしかにクラスの皆さんとは異なる。浮いている。

母親は娘にこう言うんだ。
「自分たちは、他の凡人たちとは違う。なぜ、わざわざ平凡になりたがるの」、と。
ヴィオレッタへ、セックスピストルズのシド・ヴィシャスとのセッションのオファーが来る。
ヴィオレッタと母親、ロンドンへ飛ぶ。
パンクロッカーのシド・ヴィシャス、薬物中毒で21歳で死んでいる。ヤバい男である。
シド・ヴィシャス、10歳の少女にマリワナを吸わせる。その少女の母親は、娘ヴィオレッタにシド・ヴィシャスとのキスシーンを迫る。
カンヌでも、日本の映倫でも物議を醸していたのも肯ける。

渋沢龍彦の世界である。
鑑賞者の立ち位置、難しい。